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第2部 質疑応答・議論

司会:安藤博(東海大学 平和戦略研究所 教授)

 ありがとうございました。
 現在起こっている一番新しい問題として、島根県の「竹島の日条例」をめぐる問題があります。「竹島」問題について、これは、小さな無人島をどちらがとるかというだけの問題ではなく、さまざまなことについての象徴的なものだと思います。

 こうした問題をはらみながら、韓国では日本国憲法第九条の改正には反対であるということでした。これは韓国の方々にとって、植民地時代の記憶をはっきり持っている世代とそうしたことを知らない世代も、世代をこえて共通なのでしょうか。あるいは世代間にギャップがあるのでしょうか。最近起こった竹島の事例との関連で、日本における憲法改正論議、第九条改正問題がどのように受け止められているのか、もう一度お聞きしたいと思います。

李鐘国(東京大学 法学部 客員研究員)

 日本では「竹島」、韓国では「独島」の問題については、基本的に「独島」は韓国のものであると考えていますが、現在の若者は、竹島・独島問題をあまり重要視しない人も多いです。これはもちろん、韓国が多元的な社会となってきていることでもあるし、政治よりも経済を優先する社会となっているといったことも考えられる。しかし、もちろん植民地支配を受けた人々の記憶といったものは、社会的な雰囲気として語り継がれているし、若者もいずれそういった社会的な雰囲気によって影響も受けます。若い時期は、自由な考えを持っていても、いずれ社会的な雰囲気になじんでいきます。そういった意味で、一国の政治文化というものは、ファッションのように早く変化するものではなく、長い時間の間に徐々に変化すると思います、特に韓国は儒教社会、上下関係がしっかりしている社会でもあり、そういった意味では世代間のギャップというものはあまりないように見えるかもしれないが、しかし以前と比較すれば多元化されています。

司会:安藤博(東海大学 平和戦略研究所 教授)

 日本における憲法改正に反対であるということの内容ですが、日本が再度朝鮮半島を侵略する、繰り返す恐れがあるいう具体的なことで反対なのでしょうか。あるいは、もう少し観念的な、日本という国家や戦前の歴史に対する嫌悪感といったものからくるものなのでしょうか。

李鐘国(東京大学 法学部 客員研究員)

 ある研究者は「戦争の記憶は100年以上残る」と指摘しています。朝鮮戦争の記憶もそうですが、日本の植民地支配の記憶はより強くひとつの記憶として長引いていると思います。被害を受けた側から見ると、簡単には解決しない問題です。

 もう一度、日本が韓国に侵略するのではないかと考えている人びとはたしかにいます。日本からみると全然理解できないかもしれませんが、それは被害を受けたものから考えると全く違うと思います。現在では、軍隊によって侵略するという事態は稀だと思いますが、日米安全保障再定義の結果行われていた日本の国内法整備の過程を見ると懸念する人々が増えています。もし有事事態になると戦争に巻き込まれるのではないかという不安もあると思います。もうひとつは経済のことで1970年代から世界が相互依存関係になって、その結果日本が韓国に侵略・介入するのではないかと危惧する人は、韓国には多いと思います。

司会:安藤博(東海大学 平和戦略研究所 教授)

 ありがとうございました。加藤さんは、軍事・安全保障問題の専門家としてわたしたちの「平和」についての提言を、どのようにお考えでしょうか。全くのユートピア論で、日本の安全を損なうといったように感じられるのでしょうか。

加藤朗(桜美林大学 国際学部 教授)

 この提言の中で、まず分からないのが、「最小限の実力部隊」という言葉です。自衛隊は現在このように規定していますが、この最小限の実力部隊と自衛隊の違いはどこにあるのでしょうか。

 市民運動が憲法第九条や安全保障を考える場合の最大の弱点は、運動側に「軍事オタク」がいないということだと思います。だから戦争のイメージとしては、第二次世界大戦中の沖縄戦や東京大空襲などの阿鼻叫喚の地獄といった映像しか浮かんでいないように思えます。その民族にとっての戦争の歴史は、直近の戦争の歴史です。先進国のなかで、半世紀以上直接的に戦争に関わらなかった国は、日本だけですから、しかたがないのかもしれません。ドイツにとっては、ユーゴスラビア紛争があり、世界の30数カ国にとっては湾岸戦争が直近の戦争です。湾岸戦争と第二次世界大戦との戦争形態の差は、おそらく第二次世界大戦と長篠の合戦ほどの差があります。現在、わたしたちが兵器について議論しているときに、皆さんの意識ははっきりいってしまえば、戦国時代の発想といったほどに遅れている。その具体的な例として、武器輸出禁止三原則の骨抜きといった言葉がありますが、例えば、地雷探知機は、武器だと認識されていますか。

司会:安藤博(東海大学 平和戦略研究所 教授)

 地雷探知機は、堂々たる武器だと認識しています。殺傷兵器ではありませんが。

加藤朗(桜美林大学 国際学部 教授)

 そうですね。その堂々たる武器としての地雷探知機は、政府が解釈を少し変えたことによって、現在武器輸出禁止三原則からはずされて普通に輸出されています。武器輸出禁止三原則を堂々と主張するのであれば、それこそ地雷探知機の輸出もやめろと主張すべきであり、筋が通りません。しかし、人道的な使用目的のためということで、地雷探知機は輸出ができるわけです。つまり、武器が一体何であるかということについて明確にしなければ、話になりません。

  「死の商人」という言葉がありますが、私に言わせれば、現代の死の商人は、ソニーです。ミサイルが命中するまで映像を写している、そのミサイルの先端についているCCD光学機器は、9割をソニーが作っていると大々的に宣伝しています。これがなければ正確に命中しません。昔の爆弾にビデオカメラを先端につけたことで、きわめて先端的な武器がつくりあげられたことになります。さらに画像処理に非常に優れているプレステ2のCPUは、ミサイルの誘導に転用できます。現在の死の商人はIT産業だといえるでしょう。

 こうした現実を踏まえて、提案されているのであれば問題ありませんが、ただ単に武器輸出を止めればいいというのでは不十分だということを指摘しておきたいと思います。

司会:安藤博(東海大学 平和戦略研究所 教授)

 加藤さん、わたしたちの提案では、十分に平和が保てない、単なるユートピアだというように考えていらっしゃるのでしょうか。軍事の専門家であるので、その点についてもう一度お願いいたします。

加藤朗(桜美林大学 国際学部 教授)

 本当に軍事的な観点から言うと、最小限の実力部隊というときに、一体何に対しての最小限なのかということが明確でない限り、あまり意味を持たない議論になります。これでは安全が保てない、国が守れないということではなく、「わが国が」とあえて言いますが、どの程度の実力を持っていても、他国がそれ以上の軍備を持っていれば、それは基本的に「国は守れない」ということになります。ここで軍備拡張が繰り返されるということになります。

 最低限の実力部隊などではなく、持たないなら持たないといってしまうのであれば、別の議論の展開が可能かとは思います。ただ、最小限の実力部隊といった途端に、自衛隊の論理と全く同じ構造を持ってしまうことになり、相対的な問題として、次から次に軍備拡張の論理に巻き込まれ、意図することが実現できないのではないかと危惧いたします。

司会:安藤博(東海大学 平和戦略研究所 教授)

 二つご質問をいただきました。一つめの「最小限の実力部隊」については、実は、いまお話にあったことの全く反対に考えています。「軍備拡張の論理に巻き込まれ」ないようにしていくという意味で「最小限」という言葉を使っています。周辺国に対して、軍備増強の口実を与えるような装備を持ったりしない。こちらが「最小限」に徹することで、相乗的に周辺諸国との間で軍備を縮小していくような状況を作っていこういうことです。これは加藤さんに言わせれば「性善説」かも知れません。現自衛隊について具体的にいうと、私の感じでは陸の兵力が無用に多すぎる。だから今回のイラク派遣のように、旭川からはじまって札幌の部隊というように、精鋭を次々に送り出すことができるというわけです。

 二つ目の「死の商人」のこと。加藤さんのお話は、戦争、武器を知らない素人が訳もわからずに平和や兵器輸出を論じていると批判する点で、前防衛庁長官の石破さんとよく似ています。石破さんが最近書いた『国防』という本は、一つのクイズから始まっています。「北朝鮮が日本をミサイル攻撃しようとしている。それを防止するため、日本の航空自衛隊戦闘機が『北』に出撃する。それに必要な時間はどれくらいか、15分?30分?1時間?」といったクイズです。その答えはー「日本の航空自衛隊には北朝鮮を攻撃する能力がない」というのです。素人の平和論者たちは、そういった基本的事実も知らないで、日本政府の北朝鮮に対する姿勢を批判したりしている。石破さんは、ご自身が軍事オタクであるとして、もっとものを知って発言して欲しいということを書いているわけです。

 いうまでもなく、わたしは軍事オタクではありません。ただ、幸いにしてこれまでの日本が「死の商人」の跳梁を許るさずに来たことは知っています。加藤さんは、兵器への活用が大きいという意味でソニーを「死の商人」の例にあげられましたが、企業の製造する商品がひとの死ににつながるという点だけを取り出していえば、私はそれはもっと身近に、交通事故死の元になる自動車のメーカーだろう、今の日本では「死の商人」はトヨタということになろうと思います。もちろんトヨタは殺傷兵器を作っているわけではないし、人を殺す商品を作っているつもりは毛頭ないでしょう。

 提言の中で触れている「死の商人」は、こうした比喩的な話しとは全く関係ないことです。ミサイル防衛システムを日米共同で開発することなどとの関係から、武器輸出三原則を骨抜きにしようという動きを日本国内で出ていることを強く批判したのです。人を殺す商品を製造することが、国家経済のなかで大きな比重を占めるようなことにはなっていない、日本の国内で生産された商品が、直接、海外に輸出されて人を殺すようなことがなかったというのは、日本が戦後世界に誇りうるほとんど唯一のことだとわたしは考えています。ことのことを力説するためには、軍事のことをオタクのように知っている必要はないでしょう。

加藤朗(桜美林大学 国際学部 教授)

 実は昨日、石破さんにインタビューして、この武器輸出禁止三原則について話をしてきた。その中で彼は、武器輸出禁止三原則を解除していった方が良いとしています。これは一つの考え方で、私も一理あると思うのは、兵器をどんどん輸出し、部品において、兵器の相互依存関係をつくりあげていく。そうすると相手方に武器を使おうとしても、その武器の一部の部品が相手方から来なければ、使えないということにもなる。そういった意味で、武器の相互依存体制を強固にするという意味で、武器輸出禁止三原則を解除するという議論はいかがだろうかという提案です。

須田春海(市民立法機構 共同事務局長)

 李さんにいくつかの質問です。韓国では何度も憲法を改正しているとのことだが、その時の改正手続きについて教えていただきたい。もう一つ、先ほども議論になりましたが、市民か国民かということについて、韓国の憲法は、言葉では国民とされています。peopleを人民と訳すと、北朝鮮の憲法のようになってしまい、人民とも訳しにくい。市民という言葉もどこかで使われていますが、なかなか法律用語にはならないということを聞いたことがあります。ご専門ではないかも知れませんが、分かる範囲で教えていただければと思います。

李鐘国(東京大学 法学部 客員研究員)

 韓国の憲法改正を振り返ると、権威主義政権の下でも、法律的な手続きによって、国会ですべて議論して改正されたと思いますが。国内政治の仕組みは指導者の意思が強く反映されていて、そこに市民がどれほどの影響を与えたかというと、ほとんど関与はできませんでした。しかし厳しい環境のなかで、学生が運動を展開したり、知識人が反対運動を広めたり、教会も積極的に動いたりして、国会での無理な議論に対してはなんらかの運動を通じて対応したことは確かです。

 それを考えると、現在の日本の憲法改正論議において、かつては社会の反論が強かった時代もあったと思われますが、最近は知識人の立場が弱くなったと常に感じています。

 市民と国民ということについては、韓国でも権威主義政権の時代にはすべて「国民」でした。それが80年代半ばあたりから「市民」という言葉が使われるようになりました。特に社会学者などが問題提起を行い、民主化や都市問題など、社会問題に積極的に取り組んできました。

 人民という言葉は、社会主義の国で使う言葉と理由で、韓国では使われませんでした。権威主義政権時代には、社民という言葉もアカとされていたので、人民という言葉はほとんど使われていませんでした。

 現在では、大きな都市から小さなまちまで、「市民」という言葉が使われるようになり、定着している。これも女性のパワーということが大きいといえます。さまざまな市民運動が存在しているが、どのように運動を展開していくか、制度化させていくかを考える上で、70年代の日本の市民運動や活動について参考にしている場合が多々あります。日本の市民運動のモデルは、韓国の市民社会に大きな影響を与えてきたと思います。現在の日本の市民運動がうまくいかないとなると、当然韓国にも影響が出ることになりますので、今後、皆さんの活動に期待しております。

杉田敦(法政大学 法学部 教授)

 加藤さんと安藤さんへ質問です。加藤さんのおっしゃった武器の相互依存というのは面白いアイデアだと思います。しかし、おそらく部品の相互依存というときに、日本・アメリカ・ヨーロッパなどでは相互依存するかもしれないが、中国製や北朝鮮製の部品などは必要ないということで、現在、加藤さんが考えられるような諸国をまたぐような形での相互依存は考えられないのではないでしょうか。

 安藤さんへの質問として、国際平和構築隊について、実力を備えた部隊だが、武力を行使しないとお聞きしました。つまり実力と武力を分ける、これは日本政府もやっていることですが、果たしてこういったワーディングでよいのか。先ほど加藤さんのお話もあったが、実力は武力ではないといった区分けができるのだろうか。どこまでが平和構築に必要な実力なのかという問題。もちろん法律事項というのはどのように決めても、最終的には解釈の余地というものが残ってしまうが、日本政府が従来解釈で広げてきた領域であるがゆえに、どのように考えているかお聞かせ願いたい。

加藤朗(桜美林大学 国際学部 教授)

 武器の相互依存関係については、IT化が進んでいけばいくほど、中国や韓国、周辺諸国との関係でもどんどん進んでいくと思っています。現在は、低くても将来的には、相当依存関係が進んでいくと考えています。

司会:安藤博(東海大学 平和戦略研究所 教授)

 結論から言うと、提案した「国際平和構築隊」が備えるべき「実力」という言葉遣いは、武力や戦力とどう区別できるかという点で、ご指摘の通り、きわめてあやふやです。武力は戦争をするためのものだ。戦争をしに行くのではない、武力を用いないという条件で平和構築の目的で行動するための備えなのだから、武力ではないという言い方ができるかもしれません。しかし、それでは戦争とは何か、ということになります。あるいは、現在イラクに行っているの部隊が備えている「実力」の中には、無反動砲まで含められていますが、「復興支援のため」の派遣であり、だからこれらは武力ではないと日本政府は説明しているのでしょう。出かけていく目的次第で、備えていく実力とを武力を説明するとなると、おっしゃるように現在自衛隊に関して言われていることとほとんど同じになるように思います。そういうことで、最初に申し上げたように、ワーディング、言葉遣いとしては、あやしげだと自分でも思っています。

江橋崇(法政大学 法学部 教授)

 李さんに、ホリエモンの事件で現れた日本の社会の変化についてどのように考えるかをお聞きしたい。ここで、株主中心資本主義が日本社会にいかに浸透しているかが一気に明らかになったと思います。韓国でもバブルがはじけてずいぶん苦労されているように思いますが、市場主義経済化というものについて、どのようにお考えでしょうか。

 今日は、戦争や軍隊を市場主義経済的に考えてみるのもいいのではないでしょうか。戦争を、公共事業、それも、破壊系の、言うならば静脈系の公共事業と考えられないだろうか、ということです。近代は、傭兵が国際社会を股にかけて戦争を営業にしてきた時代を克服して、戦争を国家による独占的な公共事業にした時代だと思います。だがそれも二百年たって限界に達し、いままさに、戦争が市場における営業品目になりつつあるように見えます。アフガン、イラクでの、「民営化」された戦争、「戦争請負会社」の事業展開、そして、戦争で大もうけしているアメリカ政権の担当者などからも、こういう言い方が不可能ではなくなったようです。

 現在日本でなされている自衛隊の変革は、自衛隊を国際的な競争力のある営業品目へと仕立て上げようというものではないでしょうか。日本の自衛とは無関係の、アジア、アフリカでアメリカが展開している営業としての戦争に参加して、日本も戦争で営業したいということなのではないでしょうか。それに対してわたしたちは、そういったものはいらないといってきました。わたしたちがやるべきことは、国連という公共事業体が行う国際治安維持、PKOに自衛隊あるいは別組織を派遣することであり、そこでは武器を使うことになりますが、これは戦争という営業品目に食い込むのではなく、国際的な警察活動に協力する範囲での武器使用に留めるべきであると主張してきたのです。

 日本を守れるかといった議論ではなく、自衛隊の商品化、戦争の営業品目化を目指している小泉政権に対して、護憲派、憲法第九条改正反対派における反対論は議論が一時代前のままで、軍隊なしに日本を守ろうといっているのですから、今の世界の現実からはだいぶずれているような気がしています。

李鐘国(東京大学 法学部 客員研究員)

 ホリエモンをめぐる騒動については、私も非常に関心を持って見守っていました。市場主義経済について、実際に市民レベルでの議論もなされ、議論の対象となったということを考えると、大きな意味があったように思います。

 もちろん、市場主義経済がすべて正しいわけではありませんが、それについて一般の市民レベルでどういうように受け入れたかということを考えるようになったことは重要です。韓国でも、M&Aが頻繁に行われたことによって、社会が一変しました。M&Aの結果、新しい会社として生まれ変わり、経済が発展していったという経験もあります。こういったことが日本でも議論になり始めたということでしょう。

 アメリカとの関係においては、韓国も米軍との関係で問題が生じています。現在、韓国の政権についている人びとは、より批判的にアプローチする、韓国の国益のための対応を考えようとしています。米国との同盟関係と韓国の自立という関係で現在の政権は新しい関係構築を考えながら動いていると思います。

加藤朗(桜美林大学 国際学部 教授)

 武器輸出禁止三原則の解除については、兵器産業の民営化という意味で、市場原則に非常に絡んでくる問題です。皆さんがここで矛盾していると思うのは、武器輸出禁止三原則を強化せよということは、これは政府の規制を強化せよということで、それはそのまま国家を強めようということに繋がってしまう。

 戦争の民営化の問題については、私は、戦争請負会社(プライバタイズド・ミリタリー・カンパニー)を日本でも作るべきだと思っています。自衛隊を守るための、自衛隊を退職した人びとによる部隊。今後は、皮肉にも平和憲法を守れば守るほど、プライベートミリタリーカンパニーが成長産業となるかのように思えます。象徴的に平和的な自衛隊を海外に派遣し、実質的な防備は民間に任せる。国連という話が出ましたが、実質的に国連こそが傭兵部隊を雇い、PKO、平和維持活動を行うという事態となっています。

江橋崇(法政大学 法学部 教授)

 日本の死の商人は誰かという議論になっていますが、私は、それはソニーでもなければトヨタでもなく、投資銀行、証券会社だと思っています。アメリカの場合、武器を作って大もうけするという会社もあるけど、それに投資して大もうけする投資家もいます。政治家だって、リベートではなく、自分の持っている会社と軍の契約、あるいは自分の投資に対する配当あるいは株価の上昇による含み益という形で金を吸い取っています。最近わたしたちは、SRI、つまり、環境問題に熱心だけど株価が安い会社を束ねて「環境ファンド」にして売るとか、同様に、「男女共同参画ファンド」「人権ファンド」を売るというように、社会貢献する会社への投資を奨励しています。今日最初に挨拶をした後藤敏彦さんはその市民運動の一人です。それと比較して言えば、アメリカでは、戦争ファンド、イラク参戦ファンドなどになって、それが利益を上げているということになっています。戦争が公共事業であった時代には、それに食いついて納入業者になることがポイントでした。今は、戦争を営業にする会社に投資することがポイントになっている。なお、この点について、下記の2冊の本を紹介しておきます。P・W・シンガー『戦争請負会社』(日本放送出版協会)とブリオディ・ダン『戦争で儲ける人たち―ブッシュを支えるカーライル・グループ』(幻冬舎)です。

須田春海(市民立法機構 共同事務局長)

 失礼かも知れませんが、最後に李さんにお伺いしたい。韓国にも当然、国としての自衛権がありましょう。日本が憲法第九条を変えて自衛権を持つということになると、大きな反発が起こると先ほどいわれましたが、それでは、例えばどんな条件が整備されたとしたら、日本が自衛権を持つと明記しても受け入れられるのか、そういった場合があるのかどうかをお伺いしたい。

李鐘国(東京大学 法学部 客員研究員)

 個人的には、まだそういった議論をする時期ではないと思っています。現在、韓国は分断状態で、まずは、北朝鮮との関係をどのように解決していくかということが先です。韓国には徴兵制があり、すべての男子は軍隊に行かねばなりません。これはすべて分断によるものです。これをどのように解決できるかということによって、受け入れ方は違ってくるでしょう。ただ、実際には、韓国がいくら反対しても、日本の憲法を日本で改正するということについては、それなりに意義があるように考えています。

司会:安藤博(東海大学 平和戦略研究所 教授)

 これで、第2部を終わりにします。


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