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ディスカッション「私たちの考える憲法素案」

 山本大二郎(読売新聞社 憲法問題研究会 キャップ)

当日配布資料(PDF)

 私は、一介の新聞記者であって、法律問題の専門家ではなく、憲法について若い頃から研究してきたわけでもありません。先ほど須田さんも言われたように、普通の感性で憲法問題をとらえるということも重要であると考えております。

 まず、読売新聞の試案に関する考え方から述べたいと思います。最初は、92年に、読売新聞社内に猪木正道さんを会長に、識者を中心とした憲法問題調査会を設けました。安全保障を中心に憲法問題について論議し、調査会としての提言を出したことが、憲法問題についての研究の端緒でした。その後、読売新聞の記者を中心に憲法問題研究会を作りました。それが、現在まで続いており、94年の「憲法改正試案」、2000年には2回目の「憲法改正試案」を出しました。その間、憲法だけではなく、様々な問題について提言を行っています。「総合安全保障政策大綱」を95年にまとめ、「内閣・行政機構」についての提言、国のシステムと地方自治に関しての提言(十二州三百市体制への再編などを提言)などを行ってきました。先ほど、憲法問題だけではないという話が出ていましたが、正しくその通りでありまして、「憲法改正ありき」ということではなく、本質的な問題を議論していく内に、問題の根っ子が憲法にあるということになれば、憲法の手直しを考えればよく、憲法の付属法、関連法に問題があれば、それを問題にすればよい。あるいは、法律問題ではなく、制度の問題かもしれない。その時は、制度の問題を考えればよい、ということで、憲法問題だけではなく、幅広く勉強してきました。

 私は調査研究本部におりますが、憲法問題研究会は、論説委員、政治部、経済部、社会部、国際部、地方部、解説部、編成部などのメンバーで構成されており、時には外部から講師を招いたり、合宿などをしたりしながら、時間をかけて論議し、考えをまとめてきました。

 まず、94年に、憲法問題について試案をまとめたのは、91年に湾岸戦争、92年にはPKO協力法ができ、自衛隊がPKO活動で海外に出るなど、大きな国際的な変化が起こったことがあります。国内的にも、93年に55年体制が崩れましたが、その後も一向に政治不信が払拭されるような方向へと動いてはこない。議院内閣制は機能しているのかといった問題がありました。

 権利の問題についても、状況が変わってきていました。94年の試案では、環境権や人格・プライバシー権を盛り込み、基本的人権といったものをどのように考えるべきかという基本的な観点から考えてきました。

 司法の問題についても、違憲立法審査権はありますが、これが機能していない。わが社は、憲法裁判所の設置を提言しています。これが良いのかどうかという点では、意見はいろいろありますが、「違憲立法審査権というものが機能していない」という点では、大方の意見は一致しているということで、司法についても考えていかねばならない。
 このように内外の情勢が大きく変化している中で、それに対して憲法が対応できているのかという認識がありました。

 一方、憲法問題については、長い間論議すること自体がタブーとされてきました。一つ一つのテーマについて意見の違いがあることは当然であります。しかし、公務員については「憲法遵守義務」がありますが、閣僚が憲法問題を口にしただけで「首が飛んでしまう」ということが、果たして民主主義国家として自然な状態なのかという思いもありました。

 憲法はあくまでも、国民主権の下での憲法ですから、国民一人一人が真剣に考え、真剣な議論のプロセスを経て憲法を作っていくことは当たり前のことだと思います。できあがった中身も大事ですが、議論するプロセスこそが非常に大事なのではないか。日本はどういった国なのか、国際的にどのような位置を占めるべきなのかといったことは、議論の中から出てくる問題です。現在の憲法がそういった議論のプロセスを経ているのかといえば、GHQ主導で憲法ができたことは、紛れもない事実であります。

 わが社は、94年から言っていることですが、現行憲法が民主主義の定着に果たした役割については高く評価しています。そのため試案においても、国民主権、基本的人権の尊重、国際平和・国際協調主義という現行憲法の三つの基本原理については、堅持しています。しかし、前に述べましたように、本当に国民が自らの頭で考えた憲法であるのかという疑問もあります。かといって、押し付けである、そうではないということを、憲法改正の論議に絡めるのは建設的ではありません。

 私が、押し付け論を憲法改正の理由付けにしたくないのは、憲法制定から60年近くたっており、一切手をつけずに今日まできているということについては、その是非は別にして、国民自身が責任を負う問題であると思うからです。よって押し付け論を改正の理由としては採用しませんが、憲法の成り立ちに問題があったことは言わざるを得ないと思っています。

 わが社の試案は、「これがベスト」であると思っているわけではなく、あくまでもたたき台として提示しておりますので、これを基に議論ができれば大いに結構であるという姿勢です。今回のフォーラムのように真正面から一般の市民の方々が議論されること、そういった動きは、わが社の望んでいたものです。何度も言いますが、それぞれのテーマについて賛成、反対があるということは大いに結構であり、タブーを設けずに議論することに意義あると思っております。

 憲法をどのようにとらえるのかという基本的なことについても、人によって考え方が違います。私は、立憲主義の憲法というのは、国民一人一人の権利を守る、権力が個人の権利を制約することを防ぐということだと思います。国は、個人の権利を守る責務がある、いたずらに個人の権利を制限すべきではないという近代立憲主義の憲法についての考え方は尊重すべきであると思います。

 しかし、それだけではなく、やはり国民の憲法であるわけですので、その国の理念や基本的な価値というのは盛り込まれてしかるべきだと思います。司馬遼太郎のいう「この国のかたち」ということになると思いますが、これだけ価値観が多様化した時代でありますので、一方に偏したようなものを盛り込むことは望ましくないし、実際問題、国民投票で改正されるわけですので、そういったのもができるはずもありません。しかし、自然な形で、日本の国の基本的な価値が盛り込まれるべきだとは思います。一方では、憲法には、そういった「余計な価値」を盛り込むべきではないといった考え方もあります。学者や他の新聞社にもそういった立場のところもあります。そこは、読売新聞社とは考えが違うところであります。

 憲法は、宗教や哲学ではないわけですので、現実に即した内容であるということも頭においておくべきであると思います。現実に即しつつも、現実に流されないということが必要であると思います。

 もう一つは、「分かりやすさ」だと思います。もちろん柔軟性も必要ですので、解釈は変わっても良いし、時代によって中身を替えていく必要もあるかと思います。しかし、現在の9条に象徴されるように、人によって多様な解釈を生み、そのことが無用の摩擦を生むといったことがないように、分かりやすい内容であるべきだと思います。

 最後に、これからどのように憲法問題に取り込むのかということについてですが、長い間、護憲対改憲という論争が続いてきたわけですが、今後は中身に即した「本質的な議論」をしていくべきです。読売新聞社も、憲法改正に賛否を問う調査を行っており、93年からは賛成が反対を上回り、今年3月の調査では、65%が賛成するという過去最高の結果となりました。しかし、よく考えれば、憲法全体をとらえて改正に賛成か反対かというのは、少しおかしい。憲法問題に関する世論の動向の推移を長期的にとらえるために、こうした調査方法になるのは仕方ない面もあります。しかし、本当は、あくまで、個々のテーマについて、その是非を論じ、意見をいうべきではないか、と思います。もう少し中身の議論を行い、それが憲法に結びつくのであれば、憲法改正を考えれば良いし、そうでなければ、他の方法を考えれば良いことであると思います。

 これは、個人的な考えですが、今の政治の状況は、健全な形で政権交代が可能になれば、半分以上問題は解決すると思っています。長い間権力の座についていれば、問題は起こりますので、自民党の問題というよりは、政権の受け皿になる野党が存在しないということが問題であります。しかし、なぜ受け皿になる野党が存在しないかといえば、やはり憲法の問題に行き着いてしまいます。戦後日本の国際的な特徴は、外交・安全保障問題についてのコンセンサスが全くないという状況が長く続いたということにあります。それは、悲惨な戦争体験ということもありますが、あわせて憲法の問題に行き着くというところがあると思います。そういうことで、タブーを設けずに、単に条文の小手先の手直しということではなく、本質的な議論を行うことが必要ではないかと思っています。


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