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ディスカッション「私たちの考える憲法素案」

 江橋崇(平和フォーラム 代表)

当日配布資料(PDF)

 1966年の大学卒業後、東大法学部の研究室に残って以降、約40年間、憲法と関わってきました。その間、べ平連での平和運動、人権協会での国際人権運動、自治体との人権・国際政策づくりや情報公開問題、地域政党の条例づくり支援、JICAなどの国際協力機構や国際NGOとの交流、人間の安全保障や首都圏の女性政策の研究・助言、言論界との議論など色々な活動をしてきましたが、40年間、“現場を見聞きする”という視点だけは一貫させてきたつもりです。

 この憲法をめぐる運動では、市民立憲フォーラムを呼びかけた市民立法機構の運営委員や、市民版憲法調査会の発起人、平和フォーラムの代表として関わってきました。
 最初に申し上げたいのは、戦後改革についてです。第二次世界大戦の戦後処理において、ドイツと日本には決定的な違いがあります。ドイツは、個々人の信念が代わらず人が代わったが、日本は人が代わらず思想が代わった。つまり、ドイツでは、ナチスの人はナチスの思想を持ったまま追放され、戦争中スウェーデンに亡命していた社民党系の人が帰国し政権を担いました。一方の日本は、軍のトップだった天皇が平和日本の象徴となり、様々な人が思想を代えて、時代が代わった、ご一新だということで指導者として生き延びました。

 もう一つドイツと日本が決定的に違ったのは、日本の多くの戦争処理が、占領軍の直接指令に基づいて憲法外的に行われたことです。女性の参政権は昭和20年11月に命じられ、財閥解体、農地解放そのほかさまざまなことが憲法外的に指令され、実行されました。ドイツのように自国の問題として憲法の原則にのっとって戦後処理がなされたわけではありませんでした。

 独立にあたっても、ドイツは軍備制限の条約付きで独立しました。一方の日本は、戦後直後の昭和23年ごろは、米ソを中心とした諸国と軍備制限、軍縮付の独立という全面講和論が盛んでしたけが、その後、ご承知のような展開になりました。軍縮の問題、産業の平和化の問題なども含めて、他の国であれば憲法問題になる問題が憲法問題になっていません。

 次に、憲法の問題です。『日本国憲法』は押し付け憲法だと言う人もおりますが、それは間違いです。私は、“日本側”の意向がずいぶん反映しているという意味で、日米合作の憲法だと考えております。私が問題としたいのは、この“日本側”は一体誰かを問うことなく、日本側といってしまうことです。この“日本側”とは、戦後、唯一生き延びたシステムである官僚だと思います。 日本の官僚が、『日本国憲法』を自分たちに都合のいいようにしたテクニックは多様です。 まず、アメリカから渡された憲法草案に驚いたふりをしつつ、誤訳・曲訳を重ねて、ふと気がつけば、とんでもないものに変えてしまった。当時の進駐軍の能力はそれほど高くなかったため、日本の官僚の意図的な誤訳、曲訳を見抜けず、日本の在野からの指摘があってはじめて気付いたことも多かったと思います。

 次に、法制局官僚の存在です。彼らが日本国憲法の条文づくりから、解釈、議会の答弁まで用意をする中で、結局、法制局官僚にとって都合のいい憲法解釈となって、通説的に定着してしまいました。

 3つ目に、昭和21年11月3日に、憲法が公布されるやいなや、付属法の制定・改正が当時の予想を越えた異例の速さで次々と実現されていきました。その作業の中で、役人に都合のいい法律となった。占領下の当時の立法では、一応、占領軍に法案を見せて許可を得る必要がありましたが、そこは適当にとりつくろい、国会法、内閣法、国家行政組織法、国家公務員法、裁判所法、地方自治法、財政法、その他多数の法律が成立していきました。かの悪名高き地方自治法の機関委任事務という詐術のような言葉がつくられたのもこの時です。

 4つ目に、憲法普及会という団体を軸に、東京大学法学部などの大学教授、憲法学者を総動員して、官に都合のよい憲法解釈、その背景をなす憲法理論を補強させました。これを良しとした人びとが横田喜三郎、宮沢俊義、田中二郎です。当時、そのように権力に尾っぽを振るのはいやだといった人びともいたのですが、その人たちも多くは冷戦の激化と朝鮮戦争開始ごろをきっかけに護憲派へと転じ、第一次護憲派、第二次護憲派という大学教授の憲法理論をつくっていきました。しかも、こうした親官僚派の憲法解釈が、司法試験、公務員試験の試験対策として、年々、約20万名の法曹・行政志望の若者の頭に浸透していきました。

 もう一つは、裁判所の憲法解釈、憲法判例の活用です。これらを通じて、日本の官僚は、日本国憲法を自分たちの都合のいいように変えていきました。しかしながら、明治憲法下で、明治官僚制で育った日本の官僚には、英米的な市民社会の「民」の立場に建った憲法や国家構造は思いつくはずもなく、こう考えるよりしかたなかったという方が正確かもしれません。

 こうした流れに対して、1960年代以降、日本国憲法ができた当時の“日本側”に入っていなかった市民による市民運動が盛んとなり、上から押し付けられた憲法に対して、いくつかのことを主張してきました。

 一つは、都市問題、公害問題といった高度成長に伴う社会のひずみが生み出した社会問題に対して、理念的な内容も含む基本法や基本条例の制定要求を市民運動は行ってきました。

 次に、政府の憲法解釈がおかしいということを国会における野党の質問などを通じて追求し、また、自治体は中央政府とちがった憲法解釈をする責任があるはずだという自治体独自の憲法理解を求めました。こうした市民の要求に、多くの自治体はそれによく応え、自治体法務というものも展開していきました。

 3つ目には、憲法学者に新学説が求められ、憲法学者以外の者による新憲法解釈の提起がなされました。私も若いときに、3日以内にこれについての新学説をつくれとか、ひどい時など、ベトナム戦争の従軍中に休暇で立ち寄って日本で脱走した米兵が日本の警察に捕まらない憲法理論を一晩でつくれといった無茶苦茶な要求をされたことがありましたけれども(笑)、当時は、学者に新しい理論をつくれという社会的プレッシャーがありました。さらに、環境権など新しい憲法解釈が憲法学者以外の弁護士などによっても提起されていきました。

 4つ目に、市民運動は裁判所をよく使いました。裁判で勝つとは思っていませんが、訴訟を起こしただけでマスコミがとりあげるし、訴訟になるぐらいだから深刻な問題だろうと世間の人が思ってくれる。私はこれを訴訟提起の間接効と呼んでいますが、実際に訴訟を起こしたテーマについて、国会で議員を通じて制度が変わるということもありました。

 5つ目に、市民運動は、全国展開したものもありましたけれども、地方展開したものが多く、気づいてみたら、中央政府と地方政府の関係が、上命下服から対等協力の関係に変化し、日本国憲法が当初予定していなかった分節的な憲法構造になったことだと思います。

 こうした意味で、上からの「官の憲法」と下からの「民の憲法」の対峙を認識し、私はこの「民の憲法」を大事にしていきたいと考えております。

 実は憲法に関しては3つのイメージがあります。一つは、紙に書かれた憲法=憲法典です。これを改正するかどうかがいわゆる憲法改正問題です。2つ目は、心のうちの憲法。憧れの憲法です。つまり、特定の思想の持ち主が、その思想の観点からテキストを読んで、共鳴し、感動した憲法です。憲法を読み直したら、こんなにすばらしい内容があった、という感想の憲法。抽象的な文章を、自己の思想にあわせて読み解くのだから、憲法がすばらしいのか、自分の思想がすばらしいかがよく分からない(笑)。3つ目が、社会で生きている憲法であり、制度としての憲法。憲法構造です。

 今日の議論で、これまでご報告くださった皆さんに共通しているのは、まず『日本国憲法』は「官の憲法」であって「民の憲法」ではないという認識だと思います。そして、憲法問題は、憲法典の問題だけではなく、付属法や慣習法も含めた憲法構造の問題だという認識も共通しています。そして、一緒に憲法について大いに議論をしようじゃないかというところでも意見が一致しています。私は、今日の議論で皆さんがこんなに「民の憲法」「官の憲法」ということを明言されると思わなかったので、もうこれだけで十分な成果だと思っていますし、私はこの3つの共通点を確認できればいいのではないかと思っております。

 最後に、スピーカーの皆さんに質問があります。
 まず、愛知さんへのご質問です。読売新聞の憲法改正試案では、第1章が国民主権、第2章が天皇となっています。私も日本は国民主権の国で、憲法1条は一番大事なことを書くのだから、最初に国民主権を書くべきだと読売新聞にアドバイスしたことがあります。愛知試案では第1章が天皇で、「天皇は日本国の元首である」となっていて、どこにも国民主権の規定がないのはなぜでしょうか。

 次に、高坂さんへのご質問です。今回のイラク人質事件とそれに対する自己責任論は、憲法的に考えると非常に的外れな議論だと思っています。あれは国際NGO活動家に対する誘拐という人権侵害で、生命の安全を危機にさらす国際人権法違反の違法行為だと思います。しかし、日本の議論は日本人が可哀想という話ばかりです。今回のイラクで起きた人質事件を大相撲の春場所だと考えてみてください。その人質番付表には多くの国の市民が掲載されていて、3人の日本人もそのどこかに載っているだけです。その3人だけをクローズアップして書いているのは、郷土出身力士の活躍ばっかり書き立てる地方新聞のスポーツ欄ではないか(笑)。日本はそれしかやっていない。もちろん、それの前提として、ファルージャでのアメリカによる国際人権法違反の殺戮行為と破壊行為という大きな過ちがあります。その大いなる過ちと比べると、人質事件というのは、同じ過ちとはいえ、色々な国の人間を捕まえて、少しは効くかなといった程度の原始的な抵抗だと思います。両方とも間違っているわけですが、この小さな過ちと大きな過ちをどう考えるべきかについてお教え下さい。

 次に、鈴木さんへのご質問です。内閣法制局の専横横暴はけしからんということは大いに言ってもらいたいと思っています。しかしながら、日本国憲法のもつ大きな問題は、国民主権の最高機関としての国会が機能していないという点です。鈴木さんは立法府の人間ですから、この事態のどこがおかしくて、どう直していくのかということを真っ先に取りあげるべきだと考えます。国会議員として国会についてどうお考えかをお聞かせください。

 最後に、山本さんへのご質問です。言論報道の自由の憲法構造についてどうお考えでしょうか。憲法21条では、言論の自由が保障されているというだけですが、言論の自由をめぐる問題が最近多いと思います。その点についてお聞かせ下さい。


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