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第1回 市民立憲フォーラム準備会記録

「イラク復興支援に関する日本の議論の問題点(非論理的、非科学的、非現実的)」

小川和久(軍事アナリスト)

▽ 自衛隊の派遣が全てのごとく錯覚されている

 イラク復興支援は、自衛隊派遣だけで行なうわけでもないし、そういう位置付けでもないはずである。イラクの復興をお手伝いするということ全体を100とすれば、大部分は民間が主体とならねばならない。

 何故自衛隊という軍事組織を持って行くかというと、ギプスや副木の位置付けとしてであろう。つまり、秩序や治安が完全に崩壊してしまったイラクの国が立ち上がっていく過程で、民間主導の復興支援を行おうとすると、大変やりにくいし危険な部分もある、戦場でなくとも秩序がなければ危険であるから、最初の段階では一定の強制力や排除能力をもった軍事組織が、あたかもギプスや副木のような位置付けで入り、できるだけ早く民間の復興支援を可能とする足場を作るということである。軍事組織の派遣というのは、復興支援に不可欠な最初の10%を形成する、そういう考え方が必要だと思う。

 イラク戦争に反対したカナダでさえ、いち早く復興支援に航空機を派遣したのだが、これは軍用輸送機だった。戦争に反対する立場を貫こうとすれば、民間のチャーター機でもよいのに、何故軍用機かというと、現地に輸送機を何機か展開すると、それを支援する人たちはやはり軍人でないと、一定の能力を持って危険に対処することが出来ないということがあるからである。そのへんのところが分かっていない人が多い。

 「暴力の連鎖」という言葉は、よく言われる。確かに、そういった側面も視野に入れていかねばならないし、アメリカがよくやるような「力に対して力で」というのが「暴力の連鎖」を生むだけであるというのは否めない。ただ同時に、「暴力の連鎖」を絶つために、我々はどういう行動をとらねばならないかが問われるのである。やはり、イラクにおいては、「暴力の連鎖」を絶つための民間主導による復興支援ができるようにするために、ギプスとしての自衛隊を派遣するという考え方がなければならない。

 派遣に反対している民主党の幹事長に「他に実行可能な優れた選択肢を教えてほしい」といったら黙ってしまった。呪文を唱えているだけでは平和はやってこない。座り込みをやっているだけでは平和はやってこない。デモをやっているだけでは平和はやってこない。平和を実現するための行動が、しかるべき形で常にあるはずであろう。

▽ 軍事知識の欠如が議論を混乱させている

 役人と話しても、ジャーナリストと話しても、国会議員や経済人と話しても、軍事に関して知識を持っている人はあまりいない。持っていたとしてもオタク的な知識で、戦争ごっこのレベルである。世界を動かしている人々の軍事知識と、あまりにも乖離がありすぎる。だから議論がかみ合わない。

 「国際貢献への派遣は、本格的海外派兵への突破口となる」という指摘があるが、では「どうやって、海外派兵の突破口にするのか」と聞くと、「そんなことをするのではないか、考えているのではないか」という「感じ」の答えである。

 日本の軍事力は「戦力投射(パワー・プロジェクション)能力」が欠落している。軍事力は、構造から眺めるというのが専門家の世界では常識である。日本の軍事力は、戦後再軍備の過程で、ドイツの軍事力と並んで、自立不可能な構造に縛られた。これは、アメリカの立場からすると当然であり、自分と対等に戦った2カ国に自立可能な軍事力を許すはずがない。アメリカとの同盟関係において、アメリカが必要とする部分が世界最高レベルに突出している姿である。しかし、自分で立とうとすると、立てないように非常にバランスが崩れている。

 戦力投射を定義すると「50万、100万の陸軍を渡海上陸させ、戦争目的を達成できるほどの構造を備えた陸海空の戦力」となる。日本には、そのかけらもない。こういったことをみれば、日本独自の本格的海外派兵は無理である。日本での議論は、「航続距離が長い飛行機を持てば侵略になる」というもの。戦争ごっこのレベルにもならない。

 米国との同盟関係による海外展開はあり得るが、それは、日本の意思によって選択すればいいことである。日本が掲げてきた原理原則(国連中心主義・平和主義いろいろありますが)と矛盾しないものだけ選択すればよいと考える。PKO・PKFについて、「武力行使だ」云々という議論を国会・マスコミで聞くが、「あなたは、RCT(連隊戦闘団)を知っていますか」と聞くと、防衛官僚も含めてみんな黙ってしまう。防衛庁の新保さんによると「RCTといっても、防衛官僚の95%は言葉すら知らない」という。彼はなぜ知っているかというと、軍事について勉強してきたのと、陸上自衛隊の担当だからである。

 PKFなどに陸上自衛隊を出す場合には、この「RCT」がひとつのキーワードになる。陸上自衛隊は今11個師団と2個旅団(もともと13個師団だった)を持っているが、この1個師団のなかに普通科連隊が3つないし4つある。戦車連隊、特科連隊を持っている。国家を挙げて、軍事力を行使して戦う場合、いわゆる本格的な武力行使の場合には、普通科連隊は普通科連隊だけで戦うことはできない。これは、全く武力がないに等しい。4つの普通科連帯があれば4つのRCT(連隊戦闘団)を組織して、連隊戦闘団ごとに戦うことになる。それは向こうも同じ編成で来る。その連隊戦闘団は、歩兵連隊を中心に、戦車中隊、特科(砲兵)大隊、対戦車ミサイル隊、対戦車ヘリ飛行隊(コブラの部隊)を配属する。

 そういったことを考えると、普通科連隊がもともと備えている部隊装備火器は、防御的、「楯」の性格が強い。一番大きなもので重迫撃砲、無反動砲。それだけでは戦えないから、戦車・大砲全部をつける。これは「矛」に当たる。大変リーチの長い打撃力になる。これをつけないと戦争できない。特殊部隊的な戦い、ゲリラ戦とは違うが、通常の戦闘はできない。

 逆に言うと、RCTを組んで海外に出すということは、どういう立場であれ、憲法改正しないとできないと言えるから、RCTを組まない、RCT未満ということで線を引けば、日本は国連中心主義を掲げているから、PKFに普通科連隊の装備火器の範囲で、編成はその都度考えながら出していくともありえるし、憲法解釈の中で相当許される話であろう。

 日本の民主主義が機能不全に陥っている証拠(納税者の代表が無知で、チェックできていない)であろうと言える。納税者・納税者の代表である国会あるいは政党が、軍事問題に関して無知で、自分たちの税金の使い方が妥当かどうかチェックできていない。一目瞭然であるはずのパワー・プロジェクション能力の欠如が分からない。これは、自民党も一緒で、一番話が通じるのは共産党かもしれない。共産党の方がまだ勉強している。

▽ イラクの安定抜きにテロの根絶が可能かのごとく錯覚されている

 今、イラクの安定を実現しない限り、テロリスト集団はそこを根拠地として世界に活動のネットワークを広げてくるのは間違いない。アルカイダを名乗る組織が、メールで自衛隊や日本の中心地を攻撃すると繰り返し言っているが、では自衛隊を派遣しなければ、日本国は安全なのか、世界中で活躍している日本人ビジネスマンの安全は保障されるのか、日本人観光客の安全は保障されるのか。そんなことはありえない。

 日本人が錯覚しているのは、何もしなければテロの標的にならないという思い込みである。たまたま、これからも標的にならないかもしれない。しかし世界第2位の経済大国という理由だけでも、テロの標的となり得るのである。それを攻撃することは、テロリスト集団にとっては意味がある、世界的なインパクトがあるのである。

 日本は、米国の最大の同盟国である。アメリカにとって、日本は必要不可欠、最も戦略的に重い同盟国である。同時に9・11以降、対テロ戦争を戦っている国、という面でも標的になり得る。それだけでテロリストから見れば敵である。

 そういったことを自覚して、日本は、自国の安全と繁栄のためにもテロ根絶を目指さなければならない立場にある。わたしも昔は学生運動の端っこにいたりしたことのある人間だが、やはりテロリストのあり方が全く変わっている。美学もモラルもない。今は、ターゲットは何であれ、破壊できるものは破壊する。そういった意味で、私はそのようなテロのあり方は否定する。

▽ テロ根絶に向けての取り組み

 いくつか同時進行で、世界の国々と協力してやっていかねばならないことである。ひとつは、イラクの安定であり、もうひとつはアフガニスタンの安定である。私は医学によく例えるのですが、予防医学的アプローチと公衆衛生学的アプローチで、とくに後者は息長くやっていかなければならない。イラク、アフガニスタンの安定と言うのは対症療法的アプローチであり、同時にやらなければいけない。一方、効果が目に見えにくいけれども、千年二千年という時間を視野に入れながら取り組まなければいけないのが公衆衛生学的アプローチである。テロの温床となりうる地域について、貧困・差別あるいは宗教的・民族的対立の克服についてどのように取り組むか。これなどは、ODAなどの使い道の問題である。本気で息長く効果的な取り組みを行わなければならない。同時に、テロ組織の研究とテロ対策の研究開発というのが予防医学的アプローチとして世界を挙げてやらなければならない。日本でできているところはない。

 イラクの安定については、テロ根絶への取り組みの中で、イラク国民の反米感情の改善をしないことには今の状況を克服できない。ラムズフェルド米国防長官の占領政策は、全く間違っている。バグダッド陥落までは、軍事理論的に言うと一定の評価を受けられる合理性を持っている。しかし、その後は、彼が海軍の経験しか持っていないというのもあるだろうが、占領政策については全く不合格、0点に近い。アメリカだけでは無理だが、同盟国を募って、できれば100万人近い軍事力を早急にイラクに展開して、5、6、7月の三ヶ月の間で隠匿武器の摘発と武装解除、いわゆるローラー作戦を徹底的にやらねばならなかった。しかも、占領部隊はイラク軍と戦った部隊はできるだけ避ける。日本占領のときは、日本軍と戦った部隊は船からあげなかった。予備役を持ってきた。征服者として振舞うようなことはかなり押さえ込まれるし、ギスギスせずにトラブルも起こしにくい。そういった部隊ならば紳士的に振舞うし、イラク国民の反米感情を掻き立てるようなことにはならなかった。しかし、ラムズフェルドは、戦って疲れきった、心の中がケモノ状態の第三歩兵師団に占領の中心を任せるといった馬鹿なことをやらせてしまった。これは、態度にでる。まず、できれば国連が深く関与する格好まで持っていって、イラク国民の反米感情の改善を試みなければならない。

 これをやりながら、フセイン残存勢力を掃討し、外の国から入ってきているテロ組織を駆逐しなければならない。

▽ 日本の大義とは

 どういった形であれ、これまで自分たちが掲げてきた原理原則、あるいは日本国憲法前文の精神といったものに沿う形であって欲しい。憲法前文に関しては、最後の5行、あるいは最後の2行が忘れられている。最後の2行は、「日本国民は、国家の名誉にかけ、全力をあげてこの崇高な理想と目的を達成することを誓ふ。」、行動すると誓っている。私は、やはり、憲法改正がなされていないから、9条と前文の整合性が全くないし、軍事知識が伴って議論が行われていないからおかしいわけだが、前文を否定する立場というのはないと思う。我々は、これを行動の一つの原理として考えてよいと思う。平和主義というのは、日本なりにできることを一生懸命やって、世界平和の実現に努力をする、その姿に世界の評価と信頼が寄せられれば寄せられるほど、日本の安全は高まる。その安全がなければ経済活動は成り立たない、経済的繁栄は成り立たない。安全なくして繁栄なしということである。その日本が世界平和を実現するために使うシステム、ツールというのが国連という国際機関である。国連中心主義というのは、そういうふうに考えるべきであろう。

 そういった中で、イラクの復興支援に参加することを突きつけられているわけですが、9・11の同時多発テロ以降、対テロ戦争に日本は参加した。また、2003年3月、イラク戦争を支持する立場をとった。これとの整合性がきちんと詰められているのかどうか。

 同時多発テロというのは、日本が掲げてきた原理原則である平和主義への挑戦だという位置付けの方がまだリーズナブルであろう。同盟関係から入ると、アメリカの言いなりに何でもやるのかという話にもなるし、望んでもいない「集団的自衛権」の議論になってしまい、世界から求められている動きを自ら制約することになる。日本が掲げてきた平和主義への挑戦だという位置付けをすれば、テロの容疑者や容疑組織が国際的な裁きの場に立たされるまでは、世界の国々と共同行動をとってしかるべきだという立場である。場合によっては、憲法の制約はあるだろうが、地球上のどこであろうと後方支援部隊という形であれば、自衛隊を派遣するということが可能になる。

 さらに、もっと国民の議論が熟した国であれば、あるいは強力なリーダーシップを持った政治家がいれば、同時多発テロを個別的自衛権の問題として位置付けるといった強弁も可能だったのではないか。テロリストの根拠地と思しきところに自衛隊の戦闘部隊を送るということもありえた。これは他の国であればありえた話だから、考えておく必要がある。

 イラク戦争は、日本の安全の問題として国際社会に対して説明できなければならない。日本は、テロの標的になってもおかしくない条件を三拍子備えている国である。日本の立場でいうと、大量破壊兵器開発国とテロリストの結合は、国家安全保障上の問題であるということができる。我々は、大量破壊兵器開発の疑惑をもたれているイラクに対して、国家の安全ということにおいて非常に心配している。そうでないというのであれば、イラクは国連査察を受け入れるなり、濡れ衣であることを証明しなければならない。であるにもかかわらず、イラクは、国連の査察を妨害するという挙に出た。それに対して、米英を中心に国際的な軍事制裁が行なわれた。日本は、この軍事制裁に対して賛成をする立場はあり得る。もっといえば、個別的自衛権の問題として開戦を支持する、あるいは自衛隊を送る、ということは理屈の上ではあり得るし、そういう選択肢をは、他の国ではあり得る。

 そういったことで、我々はイラク戦争を支持した。サダム・フセイン政権が崩壊した後のイラクの復興支援については、その文脈の中で、イラクの民のためというだけではなくて、世界平和の実現のため、日本の安全を視野に入れたテロ根絶にとっての不可避のプロセスであるということで取り組んでいくことが必要であろう。

 イラクの復興支援、イラクの安定というのが、民間主導の復興支援を視野に入れながらも、最初の段階では、一定の強制力を持ち、ギプスや副木に相当する軍事力である自衛隊にしか無理であるという位置付けを何故しないのか。日本が持っていく自衛隊の部隊は、編成・装備ともに通常の戦闘には参加できない状態であることを分かった上で議論しなければならない。

 私は、陸上自衛隊の先遣隊は年内に派遣すべきだと思っている。何故か。「バスに乗り遅れるな」という議論にならないようにすべきであるからである。現在、アメリカとフランスが歩み寄りを見せている。アメリカは、名を捨てて実を取る格好で、厄介な部分をフランス等に任せようとするし、そうなるとフランスは出てくる。フランスが出ればドイツも出てくる。フランス、ドイツは自衛隊と違ってすぐに兵力をイラクに展開することができる。国連の関与も強くなる。そうなると各国も兵力を派遣して、早い段階でイラク国内の平定が実現するかもしれない。そこで、日本がきちんとした関わりを持っていないと、日本の居場所はなくなり、信用を問われることになる。そのときになって「バスに乗り遅れるな」という議論になるのが一番危ない。だから最初からきちんと出て行く。フランスが出て行くことになると、これまでの権益に対する態度や情報機関の活動から見て、南部に展開することになる。日本は南部で活動しようと思っていても、居場所がなくなる。現在、政府はイラクの主要なリーダーをかなり押さえている、ツバをつけている。これは、フランスが動き出せば、フランスに持っていかれる可能性もありえる。だから、先遣隊30名は出さなければならない。

 日本政府は、自衛隊派遣によって、地域の人々が「日本なしでは、イラクの復興や平和はあり得ない」ということを自ら実感して、日本と一緒にイラクの復興を実現していくということができるように、最初から、出来れば100万人程度の雇用を提示して実際に働いてもらうようなことを始めるべきである。プランは実はいくつかある。日本は、お金に関しては「金持ち」なのだ(年度末までに15億ドル=1650億円を使い切れと言っているぐらい)。例えば100万人の雇用といえばこれは簡単にできる。一人一万円の月給を払っても、月百億とたいしたことはない。イラクを復興する仕事があって、飯が食えて、自分たちの社会がよくなっていくということになれば、自衛隊や日本の民間人がいようと、日本人の安全は彼らが基本的に守る、イスラムの習慣「ゲストは守る」というものがある、そういった方向に持っていけるであろう。我々は、イラク復興支援に関わる、その中での不可欠のプロセスである自衛隊派遣に関して、「悪いこと」のように議論している部分に対して、それは「違うのではないか」ということが言えなければならない。

質疑応答

(司会:安藤)ありがとうございました。この集まりの関心は、憲法問題、今日のテーマで言えば憲法9条をこの先どう考えるかに帰着します。この問題について、かつてのシビリアンの自衛隊幹部だった加茂市長が「憲法違反である」と指摘するように、今日の問題は憲法に触れる問題です。

 まず、本来の専守防衛の体制をとるとすれば、外に対して脅威を及ぼさない、戦力当社能力を持たないということが、定義としての「専守防衛」となるのではないか。

(小川)戦力投射能力のない日本の軍事力は、まさに「専守防衛」を絵に書いたような姿になっている。軍事常識では、「攻撃は最大の防御」という考えがあるので、「専守防衛」という言葉はおかしいという議論もあれば、自ら誇り高く手を縛っている姿を明らかにすることによって外交の力にするという考え方もある。信頼がなければどんな軍事力を持ったとしても意味がない。

(安藤)戦力投射能力は、どのようなインフラ・装備を持っているかもさることながら、軍事力については「意図の問題」が重要である。中国は日本のミサイル防衛を軍事的拡張というが、戦力投射能力を議論する際、相手の認識を考慮せずに、自分の主観だけでは判断できないのではないか。

(小川)やはり「客観性」を持った説明で自らの主張を貫くことだ。ミサイル防衛は、日本が専守防衛あるいは非同盟中立という立場で、自らのアイディアとして行うのであればどこも文句をつけることは出来ない。
 ただ、アメリカとの同盟関係の中で、アメリカが研究開発を行い配備するという方向性がある中、日本がミサイル防衛を行えば、アメリカの戦力投射プラットフォームである日本列島全体の防衛は極めて強固になる。それが台湾までおよぶとなれば、中国は異論を唱えざるをえません。ただし、中国の核兵器が、日米同盟の有無に関わらず日本にとっての脅威であることは間違いない。

(黒河内)現実問題として、武器使用の制約は依然としてあるが、今回の自衛隊派遣で携行できる武器は、テロ攻撃に備えられるものか。

(小川)普通科連隊の部隊装備火器の範囲内で任務に応じて選択でできるようにしようとしている。107ミリの重迫撃砲(射程4キロ)を持っていく。84ミリの無反動砲(カールグスタフ)、射程距離は短いが、非常に使いやすいものを持っていく。用途としては、自爆テロ対策として、車のエンジンごと打ち抜いて、その場で爆破できるものを持っていく。

(後藤敏)今後、世界中でテロはますます増えていく。この根本的な原因は「貧困」であり、イラクがどうなろうと解決しない。日本の「大義」として、掲げられた原理原則に沿うということになれば、これからは世界中の貧しい国を中心とした、少なくとも100以上の国すべてに、日本が民間支援をし、そのために自衛隊を出すとはならないはずだ。

 日本は「世界に求められている」として、イラクとアフガニスタンには自衛隊を出した。たとえば、かつての戦争を引きずっているフィリピンやインドネシアへ「自衛隊を出さない」根拠をどう考えるべきか。

(小川)それは、単純に、現実的な問題として「出せるか」「出せないか」の違いでしかない。余力はないときは「余力がない」と言うしかない。第二次大戦の問題が残っているというのは、戦後、日本側が外交安全保障の構想を描いて、それらの国々との信頼関係が醸成できているかが問われてくる。単なる謝罪外交ではなく、いかに日本が当事者であった惨禍を克服していくのかということを示さねばならない。

(江橋)戦後のアジアの諸国にとって、日米安保が抑止力となったと捉えていると思うが、憲法9条を抑止力として捉えているのだろうか。日本は戦前から色々な約束事を破ったために、不信感が強い。大義というものが、伝えるべき人に伝わっていないのではないか。中国などにとっての憲法9条とは一体何だろうか。

(小川)中国などは、日本はアメリカの傀儡であり、9条とは無関係に国防上の問題として捉えている。憲法9条は対外的には意味を持っていない。

(江橋)軍事の問題を、@軍事組織の持っている機動性や集団性を活用する、軍事組織・軍事装備の利用、A軍事力の行使だけれども戦闘ではない、テロ抑止活動、B戦闘、C大量殺戮、という4段階に分けたときに、国際的にはそのように認識されているか。

(小川)国際的には、それなりの考え方を先進国は持っているが、日本の場合、消防も自衛隊も警察も同じ組織だと、政治家や官僚が錯覚している。警察と自衛隊は全く違う組織なのに、阪神淡路大震災の時、壊滅状態にあった消防・警察を前に、自衛隊に対する過剰期待がマスコミにもあった。アメリカでのナショナルガードについてのモットーは、軍事組織は「ラストイン、ファーストアウト」であり、消防・警察と軍隊の組織が違うということを、納税者が分かっている。消防・警察が求められているのは、瞬発力であり、軍事組織に求められるのは、長い時間息切れをせずに活動できる、持久力である。この辺りから、軍事力というものの理解をしっかりしないと、議論が成立しない。

(江橋)災害出動は、軍事組織・軍隊の平和利用だが、警護活動についてはどうか。

(小川)警察と軍隊の役割は重なるところがあるが、日本の警察は、西鉄バスの乗っ取り事件についての対応を見てもわかるように、知識と能力の点で疑問がある。あの事件は、事件発生から三時間以内で解決しなければならない問題で、犯人を狙撃する以外に解決方法はない。事件が発生したら、当局は、直ちに犯人のタイプを見極め、話し合いに応じるタイプであれば時間をかけて説得すべきであるが、あの事件は、途中でナースが飛び降りて、刃物で刺しているという情報が入っている。その時点で、もはや、狙撃するしかない。警察は、「狙撃するとフロントガラスで弾が曲がる、跳ね返る」などというウソの言い訳・正当化をする。日本の警察が、廃車のバス一台撃ったことがない証拠である。今の狙撃用ライフルは非常に強力で、バスのフロントガラスは、存在しないようなものである。軍事力に関する知識が、警察・マスコミ、社会全体に欠けており、議論にならない。

(江橋)イラクで行なわれているのは、戦闘行動なのか、国際警察活動なのか。その敷居はなくなったのか。私は、「軍事力の平和的な活用」と「警察力的な活用」との間には線が引けると考える。憲法9条で禁止しているのは、戦争と大量殺戮である。

 小沢・横道合意は、つまり「国連軍にする」というもの。国連の指揮下に置いたときには、国家の戦争の道具としてはなくなる。客観的には国連警察活動の部隊となる。この違い、自民党と民主党どちらの考えがよいのか。

(小川)小沢・横道合意の「国連部隊」については、全くナンセンス。指揮命令機能が機能しない。しかも、実際に現在の自衛隊を維持している年間5兆円ぐらいの予算を、それを分けて、国家が必要とする任務にも対応できるようにしようとすると難しい。

(小塚)戦力投射能力を有する国は、どこか。

(小川)ドイツはない。フランスにはある。イギリスは多少あり、ロシアはそれなりにある。地域大国であるインドなどは、ある範囲の能力はあるが、地球規模で考えるとアメリカ以外にはないと言える。

(須田)戦力投射能力は、主権国家がすべて持つべきものなのか。全てが持たなくてもよいならば、国際的に役割分担ができるものなのか。日本に戦力投射能力がないというのは、専守防衛で憲法9条が機能しているともいえる。連帯戦闘団というのは、日本の自衛隊の中でも簡単に組めるものなのか。

 憲法前文・9条は、アジアの人々には理解されていない、信頼されていない。あるトラブルにおいて、軍事力を持って関与しなければならないことがある。それは、「自衛」という概念の中の範囲なのか。国際的に起こった問題に対して、国連レベルで対処するのか、国別で対処するのか。

(小川)戦力投射能力をもたないあり方というのはある。ただ、日本の軍事力が、アメリカの軍事力とはまったく違う、戦力投射能力をもっていないということを前提として議論をすべきであると言っているだけである。

 連隊戦闘団はすぐ組める。演習はこの枠でやっている。上陸阻止のための軍事力は、連隊戦闘団を組まないと話にならない。

 PKOで自衛隊を送るような場合、連隊戦闘団を組まないことによって、戦闘行為ではないという区別ができるだろう。

(須田)小川さんが考える国連中心主義の軍事力の編成というのはどういうものか。

(小川)国連中心主義というのは、日本が、世界平和を実現する際に、使うべきツールとしての国際連合という意味だ。国連憲章第7章に定められている国連軍の具体的な姿を描き、そこに各国が兵力を拠出するという形であれば良い。

 国連軍は、現在も存在している。朝鮮戦争勃発直後に、手続きを経ずに編成していて、現在も韓国と日本に駐留している。国連軍として米軍が動く場合には、在韓、在日米軍基地はすべて国連軍の指揮の下に置かれる。国連軍の存在は、北朝鮮への先制攻撃においては、米軍にとって大変な足かせとなっている。

(須田)人間の安全保障の初期段階で、軍事的強制力が必要とされる場合がある。その実施主体は、国別にあるものなのか、国連レベルであるものなのか、両方あってもかまわないものなのか。

(小川)強制力というレベルであれば、国連に各国が兵力を拠出し編成をしても一定の機能はする。ただし、本当の戦闘行動になると、指揮権の問題でどうにもならない。PKFのレベルまでは、国連待機軍とでも呼んでもいいが、持つことは可能である。しかし、もう少し大きな軍事力を行使するような事態に対して、国連待機軍的なものが機能するかは疑問だ。イラクの治安維持に、統一的戦闘能力が必要だが、それは、米軍しか持っていない。

(安藤)米国との同盟関係、イラクの問題もそうだし、周辺事態法、有事立法を含めて、今日の話のポイントの一つは、日本が自ら自立的に考えるということだと思う。米国との安全保障・同盟関係についても、「日本のホストネイションサポートは世界一で、決して卑屈になることはない」と言っておられる。しかし、事実としてイラクへの自衛隊の派遣が、米国との同盟関係を維持するための「アリバイ工作」とも言える。自衛官や防衛庁長官も言っているように「行かなかった場合のリスクを考えるか」と。つまり、米国との同盟関係の中で、それを政治的に第一に考えられている。「個別的自衛権の行使」ということに関しては、「強弁」と言っているように、無理があるということは分かっている。総じて、憲法問題はすべて、9条問題も含めて、米国との同盟関係をどう進めるかから出てきている。

 そこで、@米国との同盟関係を別としても、現在の憲法9条の問題について問題であると考えるか、A同盟関係は、厳然としたもので今後も続いていく大事なものである。周辺事態、テロ対策法、今回のイラク派遣を含めて、憲法上の問題点、改正の手続きを経てクリアしていくべきであると考えるか。

(小川)同盟関係と憲法の関係が、関係付けて語られる背景には、日本が自らの外交安全保障についての構想を持っていないからだ。私は89年に、『平和国家モデル』として、概念図を示した。正三角形の概念図で、三つに分けている。一番下が、一番大事で、「信頼関係の醸成」。色々な国と信頼関係を結ぶことにおいて、その国ごとの条件が描き出され、それをクリアしていかなければならない。その次の層が、「平和創造力の整備」。これは、防衛力やODAなどの様々な政策にあたる。そして最後に、三角形の頂点の部分が、「同盟関係の選択」。ベクトルは下から上へと矢印が記されている。同盟関係の選択が最後にくるのは、国によっては同盟関係を持たずに非武装中立なり非同盟中立なりという選択がありうるからだ。大部分の国々は、自国だけでの安全保障努力はするけれども、同時に適切な同盟関係を結ぶことによって自国の安全を補強しようとする。その、平和創造力の整備の、さらに根底に置かれる「信頼関係の醸成」の中に、おそらく日本の場合は、「平和憲法の制定」というものが入ってくることになる。

 このように、一つの国が、安全と繁栄を実現するためにどういった要素をクリアしていかねばならないかを整理していけば、憲法のあり方、同盟関係のあり方について一つの姿勢を示すことができる。これがないということが問題なのだ。日本の場合は、常に「始めに日米同盟関係ありき」となっている。上記の概念図でいうと「逆三角形」となっている。一番大きな「同盟関係の選択」が上にきて、ベクトルは上から下へと向いている。これは、やはり本来の独立国家あり方ではないであろう。

 私が、昭和59年にアメリカ政府の許可を得た調査によると、日本が考えてきた日米同盟の必要度とは全く逆だった。アメリカにとって、日本とは必要不可欠な、戦略的根拠地、戦力投射プラットフォームであり、アメリカ本土と同じ位置付けだったのである。その辺が日本は分かっておらず、それをいいことにアメリカが強気に出ていることは明らかだ。

 米軍の世界最先端のハイテク兵器を維持するためには、アメリカと同レベルの工業力・技術力をもった国に基地がある必要がある。ハワイからケープタウンまでの地球の半分の範囲で動き回る米軍を支えているのは日本だ。二つとない戦略的根拠地である日本が安保を破棄すれば、アメリカは地球の半分の範囲で行動させる軍事力の8割を失うことになり、その戦力投射能力は格段に低下する。アメリカは、世界の大国の一つではあっても、「ワンオブゼム」とならざるを得ないだろう。日米安保がなくなると、日本が失うものも大きいけれども、アメリカが失うものは「世界のリーダー」という座だ。この点を日米相互の共通認識として持ちつつ、同盟関係を生かしていかなければならない。

(須田)そこまで米軍を支える施設や装備を日本が持っていることで、それによって受ける影響というのはあるのか。

(小川)ない。アメリカは、日本が安保をきることを恐れているので、他の同盟国と比べると日本に対しては非常に神経を使っている。

 アメリカが、旧ソ連、中国、北朝鮮に対して言いつづけてきたことは、「日本列島に対する攻撃は、アメリカ本土へ対する攻撃と見なす」ということである。これはリップサービスではなくあたりまえのことだ。日本への攻撃は、米軍への攻撃なのである。

 沖縄での少女暴行事件や愛媛丸の事件で分かるように、日本に対しては、何かあれば大統領以下オールスターキャストですぐに謝罪する。イタリアで、海兵隊の飛行機が超低高飛行でロープウェイのケーブルを切る。アメリカは誤らずに、イタリアの大統領が乗り込んで抗議した。韓国で女子中学生二人が、米軍の装甲車に轢かれて亡くなった。ドライバーの兵士は無罪となった。それに対して、韓国国民が抗議すると、アメリカは撤退をちらつかせて脅した。日本に対してだけ、何故丁寧で迅速なのか。アメリカにとって、韓国もイタリアも日本も大事な同盟国ではあるが、そこにはランクがある。日本で悲劇がきっかけとなって反米感情に火がつくと行き着くところは日米安保解消ということになる。アメリカの危機管理策としては、謝罪が一番簡単でコストがかからないのだ。

(江橋)憲法9条に手を付け、憲法に防衛問題や世界の安全保障について書き込む場合、どういう形がありえるか。今、日本国は対外的に約束事をしている。しかし、それは、ヘルシンキ宣言のような共同宣言でも条約でもなく、他の国は相手にしていない。日本国民は、9条があるから大丈夫だと思っているが、それは軍事的には無価値になっている。

 そこで、憲法において日本の市民と国家との間での軍事問題における約束事をつくる、もう一つは、外に向かって発信する、こういった状況はつくることはできるか。

(小川)それは、平和憲法をつくるということだろう。私は「日米安保の平和化」と呼んでいるが、国連の平和維持機能に沿わせながら日米安保を変質させていこうということ、その提案を日本が行なっていくべきであるということである。

 日本は、一度「国民皆兵」を本気で考えた方がいい。シビリアンコントロールというのは、一般国民の平均的な意識と軍事組織の意識が乖離しないということであり、市民社会の常識でマネジメントできる軍事組織でなければならない。

(黒河内)国連中心主義について、私は、国連の問題対応能力について疑問に思う。考え方としては、理想的でよいとは思うのですが、国連を頼りにして物事を考えていくと間違ってしまうのではないか。

(小川)私もそのような危惧は感じているが、これまで日本が掲げてきたのだからあえて「これを使え」と言っている。国連に対する期待や幻想が日本ではかなり強いが、世界的には国連に対する諦めや否定的な見方も出てきている。

 しかし、何らかの国際機関があった方が、世界は安定していくというのは大多数の意見だろう。であるならば、日本も関わりを持つ以上、それを機能させるための働きをもっとした方がいい。分担金の問題も、場合によっては分担金の支払を止めるぐらいのアクションは起こした方がいい。国連に過剰な期待を抱き、理想化する必要はないが、平和を実現するためにツールとして「国連を使う」という発想が重要だ。

(小塚)さきほど「平和憲法をつくるべき」と言われたが、現実的には軍事力を持っているし、持たざるをえない。どの程度の軍事力であれば、専守防衛、「平和主義」と「国際主義」に徹した国だと世界に認められるものと考えるか。

(小川)これは、私自身もわからないし、日本では専門的に研究されたこともない。ただ、現在の陸上自衛隊は15万人弱しかいないのだが、この数字に根拠は全くない。多様な任務に対応できる陸上自衛隊にするには30万程度の人数は最低必要であると思う。

 予備役を活用すれば、それぐらいの人数は集まるが、そのためには国民皆兵でなければならない。国民皆兵という土台があれば、常備軍の人数というのは相当削れる。人口の1割、あるいは最低1%は必要という意見もある。専守防衛で、国外へ出かけて敵を叩く能力が封じられれば、実際には国内で戦うことになる。その場合は「もはや負けている」ともいえるのだが、一つの地域を守るのにどれだけの兵力が必要かというと、ソ連軍の脅威があった時代、対馬海峡の対馬を守るだけで、最低陸上自衛隊4個師団(師団=定員9000人)が、上陸軍を撃破するためには6個師団が必要だという。こういった現実を踏まえた上で議論していくべきことであろう。

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