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はじめに

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市民立憲を討議するにあたって
―いま、みなさんと話し合いたいこと

 日本は、と誰もがいいますが、日本という呼び方をふくめ、いつから日本という「くに」が誕生し、この列島で生活する人びとが、対外的に一つのまとまりである「国家」を形成しているものとして自分たちを意識しはじめたのか、専門家の見解は一つではありません。
 合意できることは、江戸時代末期からの外国との条約や王政復古の大号令、五箇条誓文、各種の勅語、布告などで表現される一連の維新改革をへて、大日本帝国憲法の制定によって一応の明治憲法体制ができあがり、皇室、立法、行政、司法、軍事、教育などの制度も整備されて、やっとまとまりのある「近代国家」の仲間入りをした、ということです。日本は、自らがまだ欧米の「近代国家」との不平等条約の拘束のもとにあるのに、北海道、北方諸島、琉球、台湾、朝鮮と、外に向けて併呑と侵略、植民地化を推し進めて、この面でも「近代国家」化をしました。
 この近代国家の在り方が、二度の世界大戦と東西冷戦を経て、世界規模で大きな転換点をむかえていることはご承知の通りです。日本という近代国家もその渦中にいます。

 この変化はわたしたちの生活すべてに関わります。
 さまざまな文化をもつ人びとが、この列島で一緒に生活し、互いにその個性を尊重しはじめました。日本の人びとも世界各地に行き来して多様に生活するようになりました。
 同時に、経済行為を無限定にしていると、自然資源が枯渇し、人類の生存基盤である自然条件が損なわれる現象もそこここに現れています。
 この地球上には、国による国外の地域と人びとの支配、いわゆる植民地支配は影を潜めましたが、一方で「自由」な国際経済活動の結果、途方もない不平等社会が出現してしまいました。その是正に向け世界中で人びとの懸命な努力が注がれています。
 国家連合間の「大きな戦争」は劇的に減少しましたが、この矛盾を主な要因とする国際・国内紛争が世界各地で多発し、集団間、集団・国家間の軍事的争いが止むことがありません。

 人びとの自由で活発な生活を支え、互いの思いやりを実現しやすくするのが、社会のルールである「法」です。この法に基づいてさまざまな「政府」がうまれます。
 最も広域で対外的代表性をもつ「政府」を「国」と呼び、さらに文化を含めあらゆる要素を複合した全体概念として「国家」と呼ぶ慣わしがあります。
 その用法に従いますと、日本の「国家」は、明治時代に、人・物・お金などすべての資源を一度「天皇の政府」の管轄下に置き、官の裁量によって配分先を決める集権制度をつくりました。内閣官制や大日本帝国憲法が定める政府の上に超憲法的に「国家」があり、その国家に天皇が君臨する。軍事、外交、教育、官僚体制、植民地統治などは、憲法典の外で天皇に直結する。この制度は、日本を先進列強に短期間で仲間入りさせる成果を生むとともに、極端な社会の歪みももたらしました。
 明治憲法には限定的ですが立憲主義の肯定すべき側面もあり、日本にも近代的な市民社会が形成されはじめました。西欧社会からの近代市民文化や政治思想の伝承も活発でした。ただ、わたしたち市民は「臣民」と位置づけられ、人権は「恩賜の人権」に止められ、議会の機能は不十分で、枢密院や元老といった近代立憲主義から逸脱した制度も残り、地方団体は国の構成機関とされ、市民社会での団体の活動や結社も制限されていました。
 この政治制度と文化は、戦後の新憲法によって原理的には「国民主権」に大転換しました。しかしその運用や実態をつぶさにみると実際は官の差配が依然として優先する社会が続いています。
 日本の「近代国家」としての歴史は、軍事強国としての半世紀と経済強国としての半世紀で、前者が明治憲法体制、後者が戦後憲法体制です。戦後憲法体制は、世界標準憲法を日本に導入しながら自らの支配を安定的に確立しようとしたGHQと、その内容に日本的支配特性を何とか織り込もうとした官僚の「合作」が基本で、当時、曲がりなりにも日本の市民社会を代表していた議会の関与は、第25条の生存権の保障など限定的であったことを歴史家が検証しています。特に憲法の解釈・運用や関連法規の制定・執行になると官僚の影響が圧倒的になります。

 さて、今日の地球では、20世紀の「近代国家」体制が、さまざまな揺らぎと軋みのなかで、世界的に同時代的な脱皮を迫られています。わたしたちはこれまで、平和、環境、人権、情報、経済などの面で、現代の世界や日本社会が抱えている揺らぎと軋みを、市民がよりいっそう幸福で友好的になれるよう調整し解決する方法を模索し、個人として、あるいは運動としてさまざまな活動を行ってきました。今日、さまざまに憲法の問題が議論されるようになった事情に対しても大いに関心があります。
 そこでこの際、日本の社会や政府、国や国家とは何か、もう一度、市民を基点に考えてみようと、2004年4月に市民立憲フォーラムをつくり、議論を重ねてきました。その観点から検討された、わたしたちの中間的提案は、次の諸点に集約されます。

○「法」に基づいて「政府」をつくる主体は誰か 臣民→国民→市民

 国連憲章や国際人権規約などでは、多くの場合に主語は「人民」です。同じ文脈での国内文書(日本国憲法を含めて)の主語は「国民」です。どちらも英文ではthe peopleです。
 わたしたちは、普通の「人びと」を表現する日本語の造語に成功していません。「国民」は、列島に生活する普通の人びとが集い、「法」を制定し「政府」をつくり「国民」の要件を定めて、はじめて生まれる概念です。社会の主体としての主語としてはふさわしくありません。先ず「国家ありき」の文化象徴とさえいえます。国という制度が無くなっても当然のこととして存在する「人びと」を何と呼んだらよいでしょうか。
 わたしたちは、多義的であり歴史的含意もさまざまで、異論が存在することを承知で、あえてこの語に「市民」を当てることを提案します。その根拠は、通常語として現代では一番定着しているという判断です。
 その使用が認められるなら、「市民立憲」の意図が半分は達成されたことになります。
「わたしたち市民」が「法」を定め「政府」をつくり「責任」の在りかを明らかにして、「国民」の範囲も決めるのです。
 改憲・護憲の対立が不毛に映るのは、誰が憲法を「立て」るのか、という「市民」の視座が確立されていないからと言えます。

○「憲法」という言葉を有難がらない 憲法→大基本法

 半世紀にわたる明治憲法が欽定憲法であったこと、戦後憲法が占領体制下での制定でありかつ人類史の理想型の平和条項をもったことなどで、憲法を崇めたり大切にしたりするという観念が生まれました。反面、その在り方を日常生活の中で自由に論じ合い、自分たちの生活価値観に合わせて馴染ませていく、という文化は育ちませんでした。
 「市民立憲」はこの政治文化土壌の改革を目指します。
 わたしたちは提案します。
 できたら漢字で厳めしく物神性の強い「憲法」という言葉の使用を避け、さまざまな基本法を生み出す基となる「大基本法」とするのはどうでしょうか。さらに憲法法典が別格で上から総てを統制するヒエラルキー型の法観念から、社会の自主的ルールを大切にしながらその土壌に、花芯としての大基本法を中心に各基本法や条例などが花びらとして開いているヒマワリ型の法社会をつくりたい、と思います。
 この提案では、用語の混乱を避けるためあえて「憲法」という言葉を使い続けますが、わたしたちの意を汲んでいただければ幸いです。
 憲法は神格化されるものではなく、絶えず市民の目線で点検され修正され、ほかの法との関連性が相互に評価される仕組みのなかで、命脈を保つべきものでしょう。

○国際的自己確認 平和構築の責務

 わたしたちが自分たちの国を判断するとき、基本はわたしたちの社会の在り方にありますが、同時に世界の他の国々との関係で、わたしたちはどうあるべきかも問われます。国際関係が、器のかたちを決め、ひとびとの生活のありようがその中身といってよいでしょう。
 とくに日本は、20世紀前半に軍事国家としてアジアで覇を競いアメリカなどとの全面戦争に突入しました。大日本帝国の膨張策は、とくに台湾、朝鮮半島、中国大陸をはじめ東アジアの人びとにも深刻な被害をもたらしました。
 この犠牲を強いた隣国からどのような了解が得られるかが、日本が国際的に尊重される国になれるかどうかの前提条件です。
 戦後数十年、わたしたちは冷戦下で政治的選択肢を凍結したまま、戦争放棄の憲法9条・世界最強の軍隊米軍の駐留・軍隊と呼ばない「自衛隊」の存在、という相互に矛盾した政策のもとで生活してきました。冷戦の終焉は、この矛盾を解きほぐしはじめます。
一般に、わたしたち市民には、自分と家族や友人の生命と生活の安全を守る「正当防衛権」があります。その市民の自衛権の行使が政府に信託され、国に市民を守る義務が課されることは、疑う余地がありません。国連憲章でもそのことを定めています。わたしたち日本も例外ではありません。
 さてそれでは、今すぐ直ちに政治的選択肢の凍結を解除して、この「自衛の権利」を憲法に明示すべきでしょうか。わたしたちは次のように考えました。
冷戦構造の産物が色濃く残る東アジアでは、日本は「冷戦構造下の矛盾」を軍事的に引き摺らざるを得ません。そのなかで、冷戦構造下で固定された矛盾を是正するには、順序があります。
 第一に、日本の歴史的な責任とそこから生まれた憲法の平和主義に対する理解を国際的に徹底し、特に近隣諸国からの信頼を獲得する努力をすることが必要です。具体的には、日韓・日中・日露の磐石な平和的関係構築が急がれますし、日朝交渉も緊急です。特に韓半島に関しては、日露戦争後の軍事的支配と植民地化だけでなく、明治維新直後の征韓論、江華島事件などに始まる長い間の武力による威嚇、武力の行使も総括した上での理解と信頼の獲得が必要です。その過程で、東アジア安全保障圏の実際の芽吹きも生まれることが期待されます。
 第二に、アメリカとの関係を見直し、国連中心主義のもとで友好関係を再確認、再構築すべきです。その一環が、日米安保条約の見直しであり、日本に駐留するアメリカ軍の見直しです。
 第三に、自衛隊の機能を見直し、これから想定しうる国内生活の危機(テロや災害)に対応するとともに、武力の行使、武力による威嚇を伴わない国際救援活動に積極的に参加すべきでしょう。
その上で、市民の自衛権の執行形態としての「国の市民防衛義務」を憲法に明示的にするかどうかを問えばよいと思います。

 上記の三つの努力がすすめば、総ての国が、紛争解決の手段としての「戦争」を放棄し、紛争の解決を国連に信託する時代がやってくるかもしれません。そこまで理想社会に近づけなくとも、近隣諸国が日本の憲法が「自衛の権利」を明記することを素直に受け入れる状況がうまれるかもしれません。いずれにしても次の世代の課題です。

 結論。憲法第9条はそのままとする。それが日本の当面の器です。

○日常としての市民立憲 「人たる権利」のたゆまざる更新

 さて、器の中身です。憲法の在り方を市民の目線で捉えると、戦後憲法体制もあまりに硬直的であったことがわかります。憲法の中心命題の一つに「人たる権利」(人権)の保障があります。人といっても抽象的ですし人権の内容も可変的です。
 集権的国家体制はさまざまな歪みを社会にもたらしてきました。オトコ中心、オトナ中心、世帯中心、健常者中心、会社中心、他国人排除などの偏りが生じました。しかし、それらに関しては、人間としての尊厳を希求する多くの人びとの力で改善されつつあります。具体的個々人の人権の保障は、上から定型的に与えられるものではなく、その人本人が選び取った個性を大切にする方向に世界規模で進んできました。新しい社会システムが引き起こす人権侵害から人びと生活を守る活動も不断に続けられています。
 日本社会の、硬直的憲法運用のなかでもこの努力は続けられています。市民は、自分や家族、友人の命がいっそうすばらしく輝くように、また、自分で選び、自分でつくってきた個性が妨害されることなく開花するように、差別と人権侵害に対して行動してきました。あるいは、自己決定権が具体的に実現するように、分権と自治の民主主義を求めて行動してきました。日本発で全世界に広まった反核署名運動のように、平和の価値も市民によって具体的な行動になることができました。わたしたちは、この市民活動を、市民が日々の生活の中で憲法に盛り込まれている普遍的な価値を現実化すること、つまり市民による「日々の立憲」として評価します。この人びとの努力の結晶こそが、憲法をつくりだす源である、と判断します。
 わたしたちは、この人びとの活動がさまざまな政府レベルの作用と連携し、たえず憲法の在り方が点検される仕組みを提案します。

○国家から多様な政府へ  地域の政府を優先する社会

 集権国家が総てを包摂し、地方団体も各種団体も国民さえも国家の部品と考える、国家有機体説、国家法人説の時代は、終わりました。国家の指令を中心に一体性を保つ挙国一致型社会運営は過去のものとなったのです。
 個人の人格確立を基礎に、足らざる所をまず自治体が補い、さらに広域の国がこれを補完するように、政府のかたちを逆転させる時代が始まりました。個人が集い公共領域を形成するなかで、市民サークル・企業・政府が対等に互いを必要とする社会が生まれています。
 また、沖縄の自主性、北海道の先住民族の権利、東北や九州で見直されつつある地域特性の復権、などを考慮したとき、連邦制がきわめて有力な選択肢として考えられるようになりますが、わたしたちは、地域の自主性を尊重する「地域の政府」を組織しそれぞれの地域にあった自治体を設立する構想から出発することとしました。
 わたしたちは、あたらしい時代の始まりにふさわしい市民自治制度のあり方を提案します。

○まずは市民同士で話し合い 裁判所の市民機構化

 わたしたちに最も遠く思える政府組織が司法府・裁判所です。江戸時代のお白洲、明治憲法時代の天皇の名による裁判の伝統は日本国憲法の下でもしっかりと残されていて、欧米諸国には見られない古めかしい厳粛な法廷が続いており、わたしたちとは懸隔した超然として世界を形成しています。
 しかし、裁判所という場は、具体的に事件が発生したときに、わたしたちが定めた法が、その趣旨に従って働いているかどうか、誰かの行為がその法に違反していないかどうか、人々が交し合った約束は守られているかどうか、ほかの人の行為で損害を受けた人には補償が認められるべきかどうかなどを、わたしたちが判断して解決する討議の広場ともいうべき所です。
 実際には、専門性や公正さなどの要請があって、専門家である職業的な裁判官を採用して仕事を任せていますが、その基本には、市民の自治権として、自分たちの争いを仲間で裁判する権利があり、それが基礎になって、司法権というものが認められていることを重視したいと思います。
 さらに市民には裁判にアクセスする権利があります。社会の生活でトラブルが生じたときに、それを暴力などで自分の都合のいいように解決する自力救済の手段を放棄する代わりに、他者の権利を尊重しそれと同等な権利を自己に求める関係性を基にして、公正な第三者に紛争の調停、解決を求める権利を、わたしたちは手にしています。
 この仕組みは裁判と裁判以外の二通りの道があります。紛争の性質、広がり、地域性、専門性などを考えて、さまざまな紛争解決の制度が裁判以外にすでにでき上がっています。争いが生じたら、まず自主的解決の道筋を求めるのは当然でしょう。
 日本社会では、国の裁判所という制度だけが際立たされていて、その結果、当事者の権利回復をおきざりにしてでも「公益」を重視した、上からの紛争解決だけが評価される傾向があります。しかもこの仕組みは、時間と費用がかかり、専門家による複雑な手続きを要し、さらに、国の利益を重視して判断が歪むことさえ多くあります。日本の社会で実際に市民がつくり上げてきたその他の仕組みのほうが、判断が早く、手続きも常識的で、費用も安く、専門性や地域性などにも目配りが効いていて、当事者が満足できる妥当な解決が期待できることがあるのです。
 そこで、わたしたちは、裁判所と並ぶ紛争解決の制度として、これまで社会で行われてきたさまざまな紛争解決の制度をまとめて、市民勧解制度として憲法典に取り込むことを提案しています。
 ただ、こういったからといって、国の制度である裁判所にもメリットがあるのですし、それがきちんと機能するように、私たちは、専門家の活動領域である裁判制度についても、わたしたちの社会が法による正当な支配を受容し、その判断過程における人びとの公平な関与を強め、かつ政党などの影響力を排除する改善策を提起しています。

×         ×         ×

 みなさん、わたしたちのグループには法律の専門家も参加していますが、多くはごく普通の市民です。今回の提案は、何人かの研究者・専門家のご意見もいただきましたが、あくまで、今日の段階での議論をわたしたちの観点でまとめました。
 今回の報告は、「中間報告」です。第一に、ここでは、憲法問題の多くの論点の中で一部のものしか取り上げていません。一年前の発足のときに、これまでわたしたちが運動としてかかわってきたり、あるいは市民の視点で判断しこれなら自分にも意見が言える、と思える点に集中して議論しようと決め、実際にそうしてきました。多くのテーマ、天皇、国会、内閣、財政などについては、そっくりそのまま今後の議論に残してきました。そういう意味で、今回の報告は部分的、中間的なものに過ぎません。
 もうひとつは、議論した点についても、まだそれが完了していないという意味で中間の報告です。私たちは、とりあえず今日の時点での私たちの考えかたを示して、早速にでもこれまだ話し合ってこなかった人々との間でも「市民的討議」の場を持ちたいと思います。
 みなさんのご意見をお待ちします。

市民立憲フォーラム一同


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