市民と議員の条例づくり交流会議

第1分科会「議会への市民参画」

=====================================================
行政計画と自治体議会の役割 ― 市民意見を受け止めなおすステージとしての議会の機能 ―

高井章博(中央大学法学部兼任講師)
=====================================================

 91年から3期三鷹市議会議員を務め、03年統一地方選で市長選挙に挑戦、現在浪人中。全体セッションにおける三鷹の市民プラン21会議の事例紹介のように、三鷹市は外部からは先進的な自治体とみられているが、内部からは様々な問題の存在が分かる。議会の問題、特に市民参加には何が大切なのか、議論の種を提供できればと思う。

 昨日からの議論にもあったように行政計画に議決権は及ばない。地方自治法の改正により議決事件の拡大は可能にはなったが、議会の総体として合意がとりにくく、さらに“擬似的な与野党関係”の中では、首長の権限を狭めていくようなことをしたくない、とする“与党”議員が多い。今後取り組むべき方向ではあっても、現時点では、殆どの議会が行政計画を議決事件としていないという地方議会の現状を認識する必要がある。その中で、執行部側が行政計画に対する市民参加を行っていることを、議会はどう考えるのか。

 基本構想と長期計画には、財政フレームとの関係付けがなされているが、単年度で議決をされる予算と、どちらが優先されるのか。「議会は単年度予算に対する議決権を持っているので、行政計画の部分では縛らない」という解釈もあり、行政計画は単年度の予算審議権を拘束するのか、については議論のあるところ。大きな枠組みの中では、拘束していると考えられるが、首長側の恣意的な判断で、拘束をしたりしなかったり、というのが実態と言える。

 「行政の執行権に踏み込む」ことに否定的なのは、少なくとも三鷹市でいうと、自分たちに立場の近い(自治労出身や護憲派など、いわゆる“革新系”といわれる)人たちが多かった。つまり、かつて革新自治体の中では少数与党を形成していた層が、革新首長を支えるために「行政執行権」を厳密に解釈してきた経緯がある。過去においては意味があったかもしれないこうした解釈や主張が、現在においては意味をなさなくなっている。

 市民参加では先進的といわれる三鷹市において、現状では行政執行権に属する行政計画に関して進む市民参加を、議会は決して好意的には見ていない。理由は、議会が意思決定機関から置き去りにされているからであり、具体的にいうと、選挙で落選した候補者、元議員が市民会議に多数参加、一定の発言力をもとに主要なポジションを占め、市民会議をリードする状況があったから。市民会議の審議を経た行政計画に対して、議会は異議を述べにくい。三鷹市の固有の問題かもしれないが、結果的に、当選した議員より、落選した候補者(元議員)(がリードする市民会議)を重視する首長の姿勢に、多くの疑問が出された。選挙で選ばれた人と落選した人の意見が、行政計画の策定における市政への反映の意味では、構造的に逆転している、ということが、議会からの批判を招いた。そうでない市民参加のあり方の検討も主張したが、なかなかこうした構造を抜け切れないのが、これまでの三鷹市の市民参加だった。

 最近の三鷹の市民プラン21会議では(廣瀬先生の紹介では、行政が素案提示をする前に、市民がたたき台を作成したことで評価されていたが)、基本構想と基本計画の素案がつくられる前に招集がかかり、一定の議論を行っている。ただし、市長への提言については、分科会ごとに個数で制限がされ、一方で、職員の中では同時並行的に基本構想・計画についての議論が行われ、最終段階ですり合わせが行われた、というのが実情であり、市民が原案を作成したわけではない。市民とのパートナーシップ協定は、市民提案に対し、可能なものは取り入れ、できないものについては説明する、というのにすぎず、その程度の市民参加は「協働」とはいえないのではないか。(ちなみに、当時の市民プラン21の代表のひとりが、現在の市長になっている。)

 どんな形であれ「市民参加」を経たものに対しては、議会は反対しにくい。そうした中、特筆すべきは、市民プラン21の審議を経て議会に示された基本構想案を、議会が修正したこと。それは、議会の存在意義をかけた、議会の意地でもあった。議会もかなり早い時期から、基本構想策定への議会の関与を働きかけたが、市民による議論が終わるまでは、と市長によって先延ばしにされ、議会は“修正”に向けて一致した対応をとることができた。

 市民参加、職員参加に、議員参加を加えるべき、というのが私の主張。従来の「市民参加」と最近よく言われる「協働」との概念は、まったく違うものであると思う。「協働」とは一緒にものをつくっていくことを意味しており、立場によって「参加」の本質が少しずつ異なるが、とにかく、皆が一緒に案を作る段階からいなければ協働にはならない。昨日の全体会では、議会が市民参加を得るべきという議論があったが、議員を市民とは別のものとしてとらえすぎている、という意味で、私は疑問を持つ。議員も市民であり、議員として特別な存在があるわけではない。市民社会がこうなるべき、という議論になる必要がある。議会が市民参加をすすめる、とは本来おかしな議論であり、議会は常に市民とともに議論すべきであり、そこからしか物事は始まらない。最終的な議決の段階では、議会が決めるにしても、少なくとも政策議論においては、市民も議員も、場合によっては職員も一緒の土俵で最初から議論をするべきだと思っている。

 議員とは何なのか、を考えるとき、12年間議員をする中で、忘れないでいようと思ったのは、友人から言われた「議員とは市民が役所に送り込んだスパイである」という言葉。情報を出したがらない役所、情報が無ければ議論できない市民、議員はそこで情報を引き出すための道具、それだけの存在であり、その情報で市民が皆で議論しまちを変えていく――このことを肝に銘じ、また、それを実現するべく議員生活を送ってきた。議員イコール市民、を前提に、議会が果たすべき役割を考えるべき、ことを提案として、まとめにしたいと思う。

…………………………………………………………………………………………………………………………………………………………

須田(コーディネーター)
 (時系列と政治構造の補足説明) 報告にあった市民参加を行ったのが安田市長、市民プラン21の代表が現市長。高井さんは、安田市長の時代に議員、現市長とは市長職を争った関係。99年に高井さんが副議長のときに、自治体が自治基本条例で騒ぐ時代が来るので、真っ先に三鷹で議会設置条例を制定したら、と勉強会で提案したことがあるが、なかなか難しく、実現しなかった。

会場参加者
 市民参加の審議会には議員は参加しないことが多く、また、参加していても個人の立場での参加となる。審議会に参加した議員が議会の意向を受けて討論し、まとまったものを否決するのはおかしいかもしれないが、市民参加に議会が意見を言う(異議を唱える)のは当然のことではないのか。

高井
 三鷹の市民会議、市民プラン21おいては、条例の規定ではなく、執行部サイドの強い要請で、議員はメンバーに入っていない。当然、議会の側でも最初から議論する必要があると思うが、実際にほとんどの議員の意識では、市民参加を経て、市民の意思が示されたとされるものに対しては、方向性を変えるようなことはなかなか困難で、部分修正くらいしかできないのが現実。それでも市民案に議会が「修正」をしたのは、議会も素案作成当初から何らかの関与をしたい意思を示していたにもかかわらず、市長が拒否をしてきた経緯があり、議会の存在を示すために「修正」という手段をとることになった。

会場参加者
 市民参加の理念は重要だと思うが、(市民参加の審議会も)法的な根拠はあいまいで、一つの任意団体として、参考までに意見を反映するにとどまっている。(むしろ)私たちの市民参加を担保するためには、どのような裏づけがあればいいのか。

高井
 三鷹市の場合は、市民会議に関しては条例化されており、制度上保障されているが、問題は実際の運用。例えば以前、生涯学習の行政計画をつくるための市民会議には公募枠がなく、団体の推薦枠しかなかった。不完全な形の市民参加は問題があり、幅広い市民の参加で意見を吸い上げて、最終的に議会で議論するべきである。市民参加をどのように制度化するのか、市民参加のあり方自体が「首長の頭の中」であり、どこまで議会が手を入れられるのか、という表現をされることがあるが、首長の意思形成過程で市民参加を経てくるときに、運用上の問題が発生してくる。自治基本条例などを使いながら制度化し、首長の頭の中ではなく、議会も含めた自治体全体の意思形成を中心に考えたほうが良いのではないかと考える。

会場参加者
 現在、首長の主催する審議会・委員会には、議員は外れていく傾向にあり、議会はできたものを審議する立場になっている。それならば、首長が責任を持って提案してきたものは、どれだけ市民の意見が入っていようと、もう一方の二元代表制の議会としてそれを再度たたくのは姿勢として当然必要である。その、議会がたたくときに、市民参加をするのかしないのかが議論の的になるのではないか。首長が作るものに対して、市民と議員とが一緒に入って何かをしていくというのは、私は違うのではないかと思うが、いかがか。

高井
 どう関わるかは、協働をどう考えるかという、考え方の問題だと思う。方向性としては基本的に協働型の社会に向かっている、と認識しているが、その中で議会はどういう関わり方ができるのか。昨日からの議論では、議会さえあれば民主主義が成り立つという考え方も示されていたが、今後、必ずしも首長の提案した議案を議決するだけが議会の役割ではない、となっていった時に、協働型の社会をつくるとなると、議会も市民も役所も一緒に議論する場をつくることが必要になると考えている。

須田
 議員は特別な市民として、市民社会に戻りにくい、だから余計に議員に固執する、と高井さんは言っていた。重要なテーマとして、後ほどまた議論したい。

※会場参加者の発言などの文責:市民と議員の条例づくり交流会議実行委員会(事務局)

次のページへ

ご連絡先●市民と議員の条例づくり交流会議実行委員会事務局
〒102-0083 東京都千代田区麹町2-7-3-2F(市民立法機構気付)
TEL:03-3234-3844/FAX:03-3263-9463/E-mail:jourei-kaigi@citizens-i.org