開会挨拶

須田 春海(市民立法機構 共同事務局長)

 おはようございます。Kang Moon-kyu博士の非常にすばらしいご挨拶がありました。私も全面的にKangさんの考え方に賛同いたしますので、特に付け加えることはございません。ただ、あえて日本の市民の立場から二つほど申し上げさせていただきます。

 一つは、日本の社会では、近代国家の枠組がほぼ崩壊の末期に近づいていることをぜひお知りいただきたい。別の言い方で言えば、国家権力や伝統的に国が持ってきた機能が非常に小さくかつ分解しているということです。これは政府だけではなく産業においても同様で、そうした国あるいは国家に依存した産業や人びとに代わって、自由な市民が個人を基礎にして新しい社会をつくっていくという流れが非常に強くなってきています。しかしながら、そうした自由な市民が、日本社会すべてを代表するほどに強くなったわけではありません。

 まずは、小泉首相や経団連だけが日本を代表しているわけではないということを、ぜひ韓国のみなさんに知っていただきたい。もっとも、今回、日本から参加した30名は、いずれも日本の市民運動の中心メンバーではありますが、私たちが日本をすべて代表するわけでもないということは言うまでもありません。この点もぜひご理解いただいて、会議に臨んでいただきたいと思います。

 もう一つは、私も含めて、多くの日本の市民は、おそらく韓国との付き合い方にいろんな意味で戸惑いをもっているということです。よく日本の政治家は無定見な話をして韓国の人びとを怒らせるわけですが、多くの日本の市民は、決してそういう意識は持っていません。しかし、そういう政府しかつくれずにいることについては、大いに反省しています。

 日本と韓国の2000年を越える歴史の中で、権力や金をめぐっての交流は絶えずあって、対立があり、不幸があり、多くの場合日本側に大半の責任があるわけですが、悲惨な歴史が繰り返されてきました。そこで、今度の会議は、お金もうけでも権力欲でもない、普通の市民の生き方を求めている日本の市民が、同じような立場の韓国の市民と、市民社会のあり方を対等な立場で考える場所にしたいと思っています。これは、別に未来志向という言葉を使わなくてもいいと思います。ある意味では過去に向かって、そういうことがあってもいいと思います。

 日本と韓国は、よく一衣帯水の関係にあると言われますが、私は韓国の市民と話をする時、ほとんどのことに同意しながらも、何がしかの違和感を持ちます。この違和感は何んなのかを明らかにしていくことが、隣人同士の戦争が起こる可能性が非常に高い、21世紀を生きる私たちに必要なことではないでしょうか。つまり、人間の安全保障および予防外交をしっかり私たちの責任として貫徹していきたい。その作業が、今回のフォーラムで出来れば大変ありがたいと思っています。

 どうも韓国のみなさんよろしくお願いいたします。