全体会議3 討論

司会: Kan Moon-kyu(アジア市民社会運動研究院 院長)

 お二人の発表に対するコメントを兪星先生にお願い致します。

兪 星 (持続可能発展委員会 民間幹事)

 私に与えられたテーマは、韓日市民社会の役割の強化に対するお二人の発表に対するコメントです。私は日本の市民社会をよく知らないので、一応韓国の市民社会について意見を述べて、その中で、日本の市民社会と一致する部分を見ていきたいと思います。

 今日の討論を土台にして、明日の分科会で議論をするわけです。したがって、今日はいくつかの問題提起をいたします。私は、個人的に世界の中で韓国の市民活動が大きな役割を持っていると思います。韓国の市民社会運動は、短い時間で大いなる発展をしましたし、それなりの歴史を持っています。韓国の市民社会運動は、先進国の市民社会運動の性格と発展途上国の市民社会運動の性格の両方を持っています。したがってこのモデルをうまく発展させれば、世界的な運動のモデルをつくっていくことができるし、また主導することができると思います。ご存知のように、韓国の市民社会運動は日帝時代の反帝国民族主義運動そして解放後の民主化運動の伝統を持っています。これにより、抵抗的で批判的な第3世界の運動の性格を持つようになりました。一方、我が国が圧縮成長をしながら生活の質を高めてきたし、今は外為危機で状況が回復軌道にのってGNPが10000ドル位になる経済成長を果たして、人びとの関心がより生活の質の向上、すなわち、どうすれば市民社会が持つ市民権を拡張していけるかという西欧社会の新社会運動を20年にわたって発展させてきました。こうした二つの性格をよく調和することで、立派なモデルを作ることができるのではないか。そうした使命が私たちにはあるのではないかと思います。

 韓国と日本の市民社会運動について、私が分かる範囲で言えば、韓国の市民社会運動はとても政治志向的な性格を持っていおり、中央集権化しています。批判と抵抗の伝統をよく受け継ぎながら、全国規模の運動を推進しています。一昨年にあった総選連帯の落選運動のような全国的な運動がその例で、こうした点が韓国の市民社会運動の長所だと思います。一方、日本の市民社会運動は、地域的な土台がとても強く、 ボランティア活動、草の根運動がとてもしっかりしています。私が7、8年前に神戸へ行って、神戸大震災後のボランティア活動が大変活発なことを見て感嘆した事がありました。韓国で、数年前から良い運動として紹介されている運動の一つに“村作り運動”があります。去年、私が日本へ行って日本の市民社会団体にこれを聞いて見ると、この運動はかなりの部分が行政主導型になっているという批判を聞きましたが、韓国の市民社会では村で共同体作りがとても重要な運動モデルとして紹介されているし、私たちも多くを学んでいます。また、私は昨年末に日本でエネルギー代案運動を見て、大変感銘を受けました。市民が自発的に寄金を集めて、約200〜300世帯の村で、風力エネルギーでエネルギーを自給しているのに大変驚きました。こうした地方分権による新しいモデルを交流させるのが、両国の交流の核心ではないかと思っています。

 また、私が指摘したいのはパートナシップの問題です。韓国の市民社会は、喧嘩と批判は上手いが、パートナシップ、協治をつくっていくのは、私たちはとても訓練が不足しているという気がします。最近ローカル・アジェンダ21や色々な良いモデルが発展していますが、参加型市民運動の側面でパートナシップをどう強化するのか、どう民主的に意思を結集し交渉と調節能力を育てるのかが、重要な問題として台頭しています。

 最後に地方分権の問題、地域運動について先ほど言われました。私も地域循環型社会をつくることが重要だと思います。韓国で地方分権になってから約10年が経過したのに、分権になってむしろ開発論者が勢いを得て、私たちが慌てた事があります。このような状況の中、市民社会運動をどう強化するかが課題で、そうした面で地域循環型社会をしっかりと構築していくのが私たちの任務だと思い、そのためにために多くの運動モデルの交流が行われることを願います。ありがとうございました。

司会: Kan Moon-kyu(アジア市民社会運動研究院 院長)

最後に三宅弘弁護士が討論を引き受けてくださいます。

三宅弘(自由人権協会 理事/弁護士)

 私は自由人権協会という人権団体に属し、人権問題の裁判や情報公開の立法運動に長年携わってまいりました。ただし、それは一日のうちのハーフタイムでして、残りの半分は弁護士の仕事をしております。最近は倒産の処理が多く、個人でお金を借りつづけ、返せなくなった人を破産させたりといった処理を引き受けていますが、負債が何千億円もある会社をつぶすのに概ね10年ぐらいかけた経験から、不良債権の処理の大変さを実感しております。一昨年に成立した民事再生法により、無理に倒産させずに一割だけ支払えば会社を存続できる方法もできたので、最近ではその法律を上手に使って、企業や地方の老舗旅館などを救済しています。家族経営の旅館の、首をくくって死ななきゃいけないと言っていた人をなんとか生き延びさせ、立ち直らせたりしていますが、不良債権の処理というのはそう簡単ではないと思います。そうした倒産の処理報酬で、残りのハーフタイムは充実した市民運動をしています。

 本日は横田さんの補足説明に限定しますが、アジア社会の平和と共生と安定のためにという、将来のアジア連合に向けてアジア市民連合というものを提言されましたが、その場合おろそかにできないのは中国の取り扱いだと思います。私も弁護士二年目の時に対外開放を始めた中国で日中の経済法の交流を行ない、中国の民主化に期待を持ったことがありましたが、その後の天安門事件でしばらくは無理だと思っていました。そのころ中国で「情報公開」という言葉を使うと、スパイだと間違えられると言われていましたので、とても中国では情報公開の立法運動をやっていることは言えませんでした。その後しばらく国内で、地方政府の条例づくりや国の立法の運動に携わっていましたが、当時は光州事件が報道された時期でしたから、とても韓国の人と情報公開の運動を一緒にできるとは思いませんでした。

 そのころアメリカのラルフネーダーを日本に呼び、法律をどうやって作るのかという戦略を勉強させてもらったりしましたが、ちょうど日本で法律のモデル案ができた九五年頃に、韓国の清州(セイシュウ)市でも日本の条例をモデルにした情報公開条例ができつつあるということ、また韓国政府の総務省で情報公開の法案を作っているらしいということを聞き、調査に訪れました。それ以来、情報公開の立法運動では、韓国市民の方々と一緒に協調した運動ができるようになりました。昨年、日本で情報公開アジア会議を開催しました。アジアではタイが最初に法律を施行し、韓国は二番目、日本が三番目です。九六年に韓国を訪れた時、ちょうどワールドカップの共催が決まりましたが、ワールドカップが韓国と日本で繰り広げられる時に、お互いに自分たちの法律で情報を相互に請求をしあえるといいねと言っていましたが、それが実現したのは大変よかったと思います。

 日本では、例えば食糧費という接待をする際の飲み食いのお金などが情報公開条例で公開されるようになったことにより、地方政府の無駄使いがなくなりました。そうした成果がじわりじわりと中央政府にも向かい、外務省が外務機密費の中で飲み食いをしていたことが、刑事事件になった役人の犯罪からわかりました。また、日本には韓国のキムチのような塩漬けという食べ物がありますが、塩をふって野菜をおいておくのと同じように地方自治体が土地を買い、お金をたくさん払ったまま放っておくことがたくさんあるというのもわかりました。それも情報公開の成果です。最近、私が試みているのは、公共事業の建設費の明細を公開させ、いかに水増しした建設費になっているかを明らかにして住民訴訟を起こし、自治体に損害を賠償させることで無駄使いを減らす運動ですが、こうした成果がかなり日本の政府の中にも影響を与えていると思います。

 昨年の情報公開アジア会議にはフィリピン、インドネシアなどからも参加者がありましたが、そこではやはり大統領が不正畜財をしておりました。こうしたうねりの中で、アジア全体が情報公開法の制定を目指しています。今年になって中国から調査の方がみえました。中国はWTOに加盟したことを契機に、情報公開法の制定を検討し始めたらしく、五月にはバンコクで中国の学者と共催のシンポジウムも開催するということです。私もそろそろ中国に戻り、情報公開法を制定させたいと思っておりますが、これにはおそらく韓国の方々や日本の私たちが共に情報公開法を使いきることによって、民主化のレベルを高めつつ、そのモデルを中国に示していくことが肝要なのだと思います。労賃が安くていくらいい物が買えても、中国には人権弾圧が相変わらず存在します。こうした民主化されていない政府を徹底的に変えないことには、アジアは安定しないと思いますので、戦略を練りつつやっていきたいと思います。中国から安いものが大量に入ってきたことで、日本の製造業はダメになりつつありますが、中国の人民が目覚め、自分たちの労賃が安すぎることに声を上げるまでは、こうした厳しい経済情勢は続くのではないかと考えております。中国の民主化のために日韓で連帯するのが、この先一〇年の課題だと思っております。アジア社会の平和と共生と安定のために、一つの運動として繰り広げていきたい。今日の討論と明日の分科会でさらに詳しく議論ができれば大変ありがたいと思います。

司会: Kan Moon-kyu(アジア市民社会運動研究院 院長)

 三宅弁護士が情報公開法について話してくださいました。韓国の場合、情報公開法が成立しましたが、たとえば市民団体が法律に依拠して情報公開を要求すれば五回中四回は黙殺されています。韓国の市民団体の中でこれについて告発をするか、または法的手続きを踏んで見ることがどうかな思います。

 そして、提案で直接言及はありませんでしたが、日本ではNPO法が1999年に成立しましたし、韓国では1年後に市民団体支援法という法律が成立しました。私が両方を比べてみると、二つの法とも、短時間で多くの費用をかけずに法人格を容易に付与するという共通点があるようです。次に、非営利活動において税制優遇を与えることになっていますが、韓国の場合、法的な税制優遇の道は制度化されていますが、実際にその資格を得たケースはとても少ない。この点を参考までに申し上げます。

藤井絢子(滋賀県環境生協 理事長)

 このセッションに、市民社会、政府、企業の望ましい共生と協力関係とありますが、参加者の中に企業セクターがぜんぜんいないことと、企業に触れる議論がないことが気になります。

 日本においても、60年代の公害闘争の際、企業は市民運動の戦いの相手でした。しかし、これからの社会を考えていく場合、コミュニティの経済を創出し、コミュニティをどう創りあげていくかという中で、企業セクターは非常に重要だと思います。そこで、韓国ではいままでのその企業と付き合い方を、コミュニティを作っていく中で、どういう付き合い方に変えているのか、変えていないのか、そういうことの中で逆によりよいコミュニティを作っていくため、地域力を作るために企業をどう育てているのかについてお聞かせください。

徐丙普i浦項YMCA 事務総長)

 私は地域で9年ほど活動した経験を通じて悩んでいることについて申し上げます。討論で韓国の批判と抵抗運動についてお話がありました。現在、韓国の地域市民社会は相当な危機に陥っています。その批判と抵抗運動の伝統が、よほど否定的に 作用しているようです。 そして他人に対してはかなり批判的だが、自分や自分が属している共同体に対しては寛容な姿勢などが、強まったようです。そして民主化されながら、市民社会が一つの利益貫徹の場になったと考えられます。コネ主義に基盤して各職能や職業別で各団体の利益を貫徹するために大きな声をたくさん上げているのですから、これは社会が調整して仲栽する力量が不足しているのだと考えられられます。現在、韓国社会は地方分権が活発になっていますが、住民自治といえる住民自らが地域をつくっていく部分はまだまだという状況です。これらの問題について、韓国地域市民社会はとても危機的な状況だと思います。こうした悩みにお答えいただければ幸いです。

竹内 謙(環境自治体会議 顧問)

 日本からやってまいりました竹内と申します。住んでいる所は日本ですが、私はあまり国籍を意識しませんので、みずから「地球市民」を名乗っております。私が韓国に初めてまいりましたのは1962年、まだ日本と韓国の間には国交がありませんでした。在籍していた早稲田大学で、「早稲田大学日韓親善隊」を組織し、軍事境界線近くの雪岳山から済州島まで韓国各地を歩きました。

 当時の韓国の風景と比べて、三つの異なる印象を持っております。一つは、建物が高くなったこと、二つ目は、山に緑が多くなったこと、三つ目は、町の中に漢字が少なくなったことです。今日の会議ぐらい漢字が使われていれば、大方このような意味だろうと想像も付くわけですが、今は町を歩いても、残念ながらほとんど意味が分かりません。今日ここにお集まりの人たちは、お互いにお互いの社会を理解し、市民社会をどう築くかという意欲を強く持っておられる方々ばかりでしょうが、この輪を広げるためには若い人たちが互いの国を訪問をすることが非常に大事ではないかと思っています。

 日本と韓国の間で、まだまだ理解が不十分な点が多々あることは私もまったくその通りだと思っていますが、一方で互いの理解が進んできたこともまた、間違いのないことだろうと思います。文化的な交流もずいぶん盛んになりましたし、このことがやはり私は市民社会を創る上で、最も大きな力になるであろうと思います。できれば中学生、高校生、大学生といったできるだけ若いうちに互いの社会に触れ合うべきです。見る、話す、聞く、触れる、匂いを嗅ぐという体験が、明日の市民社会を創る上で、非常に大きな力になるだろうと思っております。

下羽友衛(東京国際大学 教授)

 今回このセッションのテーマは韓日市民社会の役割の強化ということで市民社会の役割と市民社会を強化するということがいかに重要であるかが分かりました。それでは、市民社会の担い手である市民をどう育てていくのか。この点についてふれられておりませんでしたので、若干述べさせていただきたいと思います。

 私はいま大学で、市民をいかに育てるかという問題意識をもちながら国際政治学を教えております。市民というのは消費者、労働者、有権者、納税者、そして直接的または間接的機関投資家といったいくつかの側面があるかと思います。その一面である市場における消費者として、日本ではどの程度、育成されているのかといいますと、昨年の日本環境教育学会のシンポジウムでスウェーデンの専門家が、先進国の中で日本だけ特有の現象があると指摘していました。それは、環境問題に対する意識・知識があったとしても、それが必ずしも行動につながらないということです。例えばAという商品を買った場合には、それは社会に対して悪影響を及ぼし、生活者の利益に反するという事が分かったとしても、その商品を買い続ける、そういう傾向があると。ほかの先進国ではAという商品が、最終的に生活者の利益にならないということが分かれば、翌日にはその商品は売れなくなるという。要するに、“わかっちゃいるけど、やめられない”というこれが一つの日本の特徴じゃないかと言っていました。これは先進諸国スウェーデン、ドイツの人たちから見ると、非常にアンビリーバブルなんですね。このような日本の現状の中で、環境問題への意識と知識をどう行動につなげていくのか、これが非常に大きな問題だと思います。

 別のアンケート調査によりますと、いくら知識があったとしても要するに、インテリであろうとなかろうと行動はかわらないというんです。これも一つの特徴だと言えます。例えば、所沢のダイオキシンの問題、これに対して当初住民ほとんど関わらなかったようです。初期の重要な政治過程では、所沢より外の市民が中心に市民運動を展開しました。所沢というところは高学歴、高級所得者、高級住宅地、非常にインテリが多いところです。しかし、住民が立ち上がらなかったのです。これは一つには、やっぱり日本人の市民性が低いのではないかと思います。そういったことから、私は意識、知識をどう行動につなげていくかということに焦点を当てて研究・教育をしてきました。少なからず成果をあげてきました。これについては明日の分科会でお話したいと思います。

 それで、日韓の市民社会の担い手をどう育成していくのかという視点から私が試みてきた日韓の学生交流の例をあげたいと思います。実は東京国際大学と韓国のキョンヒ大学は姉妹校であります。1994年に最初の交換留学生が来まして、私のゼミナールに所属しました。その学生が「先生ぜひ交流をしませんかと指導教授からいわれてきました」ということで、95年夏に韓国で交流をしました。95年の8月は、旧朝鮮総督府が壊されていないときで、反日感情がかなり高かった状況でした。当時の調査によりますと大体7割の人が日本人は嫌いだ言っていました。そういう中でのとても印象的な訪問でした。このスタディーツアーは3つの柱から構成されていました。一つは、独立記念館を共に参観し、その後、日韓の歴史について議論すること、二つ目は、南北朝鮮統一問題を一緒に考えようということで統一展望台へ訪れること、そしてもう一つがホームステイでした。独立記念館から帰ってきてから歴史の問題をめぐって大きな議論になりました。けれども、激論を終えてお互いに非常に分かり合えた部分があります。日本の学生が独立記念館に行って、歴史的にどういうふうに彼らがおかれてきたのか、相手の立場に立って考えられるようになってきたと。これは南北朝鮮統一の問題も、統一展望台に日韓の学生が一緒に立ってみて、彼らの立場がわかるようになったといいます。一方において、私のゼミの学生が、キョンヒ大学の学生にこういうんです。確かにあなたたちの先祖がおかれた状況はわかると。しかし、いくつかの点で不十分な点があるのではないかというんです。一つは、あの独立記念館の展示を見て、戦争の諸原因と平和の諸条件という視点からすると、よく分からなかったと。これから二度とこういう問題を起こさないようにするためには、やはり戦争の諸原因と平和の諸条件という視点から分析して、その上で私たちは何ができるか、そういう視点で捉えていく必要があるのではないかという問題提起でした。

 二点目は、確かに我々の間に国籍の違いがある。だけどその前に同じ人間であり、同じ地球上の一市民だと。そういう地球市民の視点で、また人権という普遍的価値に基づいてその問題をみていかなければ、今、起っているような世界の同じような問題は見えないのではないかという様なこと指摘したんですね。そういうようなやりとりをしながらお互いに分かり合える。それによって非常に学生たちは問題意識が高めるわけですね。また、中にはホームステイを通して、自分は日韓の架け橋になりたいという強い思いを抱くことで、帰国してから猛烈にハングルを独学して、ロータリーの奨学生として高麗大学の大学院に留学した学生もいるのです。そのときの指導教授が崔相龍前駐日韓国大使だったそうです。院生は彼の言動から日本人のイメージが変ったといっていたようです。日本では、無関心、無感動であった学生が、韓国の現場で韓国の学生と交流することによって目覚めて見違えるように変わってくる。そういう状況から私は日韓市民社会の強化という点を考えていくと、日韓の学生の交流を通して、一緒に若者を育てていく、そういう視点で交流を企てていくということが重要ではないかと思います。スタディーツアーに参加した学生の中の2、3人は長期留学を目指すようになります。そして日韓の架け橋になっていきたいということで育っていくのですね。そういう意味で草の根レベルで双方が協力しながら、市民・地球市民を日韓の担い手を育てていくということが大切なのではないかなと思います。

もしこの意見にコメントいただければありがたいと思います。以上です。

下羽初枝(埼玉県西部地区消費者団体活動推進世話人会代表)

 私の場合は埼玉県もしくは自分が住んでいる川越市という狭いエリアでの活動が中心ですが、横田さん質問です。したいと思います。地方分権一括法によって、国の機関委任事務が廃止され、自治事務が大幅に増えたということが一つの問題としてあげられています。

 私はゴミ問題、ゴミ焼却施設の設置等の問題に関わっておりますと、もともとその迷惑施設を地域に作るときに住民運動が起きるわけです。住民運動を排除、それを聞かなくてもいいという国の通達的なものがありましたが、ゴミ焼却施設を設置する機関委任というものが、都道府県に委任されていて、都道府県は住民の反対に苦慮していて、ほとんどの都道府県が住民反対に対する配慮をしてきたのです。ところが環境アセスメントが設置されることによって、住民の反対を無視してもいいんだというような内容に変わってくるのですね。

 ここで問題なのは、地方分権によって国が持っていた機関委任事務というものが政令都市や川越は中核都市になるですけど、川越市などに産業廃棄物も一般廃棄物も設置するときの許可権が市町村や都道府県にくるわけです。ところが、その反対する住民の意向を無視してもいいような国の方向性があるので、私は地方分権というものが果たして、日本の中で有効に動くのか、高い塀の中で塀の外にある問題を塀の中で、好きなようにやりなさいといっているけど、問題は高い塀があって問題はその外にあるというような現状が地方分権という中には含まれているのではないかと思うのですが、その点についてコメントいただければと思います。

司会: Kan Moon-kyu(アジア市民社会運動研究院 院長)

 横田克巳さんが、下羽初枝さんの質問にお答えしてください。

横田克巳(参加型システム研究所 所長)

 いま指摘された国と県と自治体をめぐるごみ問題は、神奈川県でも非常に複雑な問題になっています。むしろこれは又木さんにコメントしてもらったほうが分かりやすいかと思いますが、私は地方分権がきたから市民なり住民の決定権が貫徹するとは思っていません。機関委任事務が自治事務になったというのは行政上の分権であって、政治的分権が十分機能するためには、やはり議会の決定権なり条例制定権といったものが確立することが必要です。

司会: Kan Moon-kyu(アジア市民社会運動研究院 院長)

 他の質問については、明日の分科会討議を通じて再び議論することにして、藤井さんが問題提起された韓国の企業とNGOの関係について金聖壽さんのお話を聞いてこのセッションを終えたいと思います。

金聖壽(KSDN本部長)

 韓国の企業の中には政府の育てた企業が多くあります。参与連帯では、韓国の代表的な財閥である三星の株主総会に参加してデモをしたり、イシューを多く提起しました。経実連では、代案企業運動を展開し、経済正義を企業に提起することで、よい企業風土を作って行く運動を展開しましたし、ハンサルリムのような団体では生協運動を通じて有機農産物を消費者たちと直接連結する運動に成功しました。こうした運動は、徐々に大きくなっていますし、地元の産業、文化産業、地域産業は、これからも着実に成長していくと思います。

 二番目に、青年訪問、文化交流事業に対してお話がありました。訪問交流事業は、すべての協力事業の礎石です。ところで、韓日市民社会でその役目を強調しながら焦点を当てる時、協力事業が見えると信頼が構築されて韓日市民社会が何やら役目を積極的に果たせるのではないかと思って、協力事業を申し上げたのました。

司会: Kan Moon-kyu(アジア市民社会運動研究院 院長)

 私が一言だけ申し上げます。今、この席に企業がどうして来なかったのかという指摘をしていただきました。私たちが新しいガバナンスを語る時、政府と市場と市民社会がありますが、今日の会議は市民社会に限定したという点を申し上げます。韓国の市民運動の伝統は、民主化運動、反植民地運動に原点があるために、政府と市民社会の間の闘いの歴史は長く、経験も多いために話すべきことはたくさんあります。ところで市場が大きな力をもって登場しながら、市場と市民社会はお互いに関係設定ができず、かなり迷走している状態と言えるでしょう。

 私が市民社会の立場から防御的な意見を述べると、市場が市民社会を市場化させていこうとする意図が多く見られます。たとえば油を載せた船が座礁すれば、素早く企業が環境団体に研究費を与えて調査を頼むとか、最近では会社で社外理事制を取り入れて、大きな会社が市民団体の人びとを企業に迎え入れて、企業に反対することができないようにするといったケースが見られます。現在の韓国の企業と市民社会は、何が健全なパートナシップなのかを模索している段階だと考えています。

 提案と討論のために午前中から苦労してくださったみなさんに感謝の言葉を申し上げます。